栄ミナミ(住吉地区)の路地裏変遷
戦後の住吉界隈は、個人営業の飲食店が密集する繁華街として発展してきました。広小路通りには柳の街路樹とともに200店を超える屋台が並び、復興土地区画整理事業によってすべての街区に夜の営業を中心とした飲み屋の路地通りが形成されました。
本年3月、名古屋都市センターから「名古屋都心における路地的空間の形成可能性の基礎研究」(調査課・中島壮太朗氏刊)という名のユニークな研究報告書が発表されましたので、そちらを引用しつつ、栄の魅力向上の要素として変遷を紹介してまいります。
中島氏研究によれば、栄住吉地区8つの街区内に5つの路地が存在しており、名称のある「栄小路・むつみ小路・住吉小路」ほか、下記地図から戦後の変遷を語っていきたいと思います。
栄3丁目1~10番地(昭和34年) 路地地図。青色路地は撤去、ピンク路地は現存
①栄3丁目-1番街区
戦災で丸焼けになりましたが、広小路西「吉田ビル」と東角の「富国生命ビル」は鉄筋だったため外部や躯体が残り、その間に広小路劇場がオープン。劇場周辺が大きな路地を形成して“本町バザー”と呼んでいました。
路地内には劇場前広場が形成され、釣り堀や露店街としても親しまれていました。オシャレなカウンターと壁面鏡張り「喫茶CA」、舶来品カメラ「もみじや」、広小路キャンディーストアなど、進駐軍文化を感じさせるアーケードも西の本町通りにつながっていました。
富国生命跡地は赤玉パチンコ、キャバレー赤玉会館と山田泰吉翁の戦後創業の地といえます。
②栄3丁目2番「栄銀座」
栄小路看板・奥が丸善跡地と明治屋ビル(左) 路地の元八幡屋跡地、現存する中華・夜香来
終戦後に建物が建てられ路地が形成されたようで栄小路とよばれ、幅員2~3m直線型、延長89m、当時からあるお店は「中華料理・夜来香」のみとなりました。
北側の丸善は2012年閉店、現在は駐車場となり路地がオープン通りとなってしまいました。路地全体が7筆の土地で共同所有もあり、土地所有者は37名、建物の所有者は21名となっています。西南角の住吉ホテルとんかつ八千代中店が有名でした。割烹八幡屋さんは一昨年まで営業されていました。
北側の丸善・明治屋はダイテックホールディングが取得後、取り壊され、現在はコインパーキングとなっていますが、最高級ホテル「リッツカールトン」が進出とのこと。南の路地・栄小路との調和と融合がいかになるか楽しみです。(詳しくは、住吉の語り部第54回)
③栄3丁目3番「松竹小路」
向かいの栄銀座南に「松竹映画劇場」(現在のパチンコ・キング観光)があったので名付けられた全てが飲食店、コの字型小路。
入口の伍味酉、カレートリオ、金鯱山など思い出深い名店が並んでいましたが、昭和59年丸栄の南館建設に伴いなくなってしまいました。(詳しくは、住吉の語り部第55回)
④栄3丁目4番「日活小路」
日活映画劇場南の小路のみ現存、幅員約4m、延長668m「L字型」が残っています。かつては栄NOVAのところに「栄楽天地」路地が2本、南大津通に通じた飲み屋街で、多くの証券マンで賑わっていました。
⑦栄3丁目7番
旧日活小路:突き当りに日活映画館がありました(左) 日の出写真館より「小便小路」
名前はなく、奥に空き地が多いため酔客の放尿場所、地元の子供は「小便小路」と呼んでいました。
日の出写真館から南に幅2.5~4m、約80mのT字型路地で手形割引、個人金融(サラ金)、才取業などの小規模なチョット怖そうな業態が多く、飲食店はあまり見当たりませんでした。
⑧栄3丁目8番「むつみ小路」
むつみ小路南側、以ば昇、ゲランが山岳会館と板谷将棋教室(左)
栄3-9:謎の地下路地、明星ビルから突き当りグランドビル地下の飲食街通路
戦前から現存する栄地区最大の路地。幅3~4m、約135mY字型の路地です。全体が12筆にまたがって、西側は5号道路指定であり、東側は(株)平和不動産の非道路となっています。
むつみ小路には商店発展会があり、戦後60年以上の歴史となるキッチンゲランさんが会長、鰻の「以ば昇」の親父が副会長で街づくりに熱心のようです。
最近は、将棋の藤井聡太七段が腕を鍛えた、「板谷将棋記念室」が路地の突き当りにあり話題です。名古屋ゆかりの棋士・板谷進九段の馴染みの居酒屋が隣接しています。 (詳しくは、住吉の語り部第54回)
⑨栄3丁目9番「地下小路?」
ちょっと特殊な形態で、入江町に面する「明星ビル」(かつてのキャバレー明星)地下1階の飲み屋街がなんと、三蔵通りにある「グランドビル」と地下でつながっています。是非、住吉での飲み歩きの時に探検してみてください。
⑩栄3丁目10番「住吉小路」
住吉小路:北側が一世を風靡したキャバレーメイフラワーのあったメイフラワービル
両方とも(株)上田土地の所有で、将来の再開発が期待されます。
地区最小の路地・幅員1.5m、奥行29mの直線型で現在は3軒のお店が営業中。奥から2軒目の焼き鳥「万亀」は超人気で、名古屋コーチン名物の有名店でいつも満席です。
地権者は(株)上田土地の一社のみで、将来は北側の同社所有のメイフラワービルとともに開発されるとおもわれます。同社の上田浩嗣社長は、住吉町商店街の会長として地域の街づくりに貢献されています。
戦前、この地区は碁盤割の町づくりの南端広小路以南で、道幅は3間(5.4m)、地域全体が入り組んだ路地空間であったようです。
入江町通りも三蔵通りも住吉以東はつながっておらず、道路が狭く袋小路のような地域でしたが、明治19年南伊勢町に名古屋証券取引所が開設され金融街ができたことが、大きな発展のきっかけとなりました。そして、終戦の翌年、昭和21年松竹映画ほか、各ブロックに映画館がオープン、そして、栄2丁目に進駐軍のアメリカ村の影響で欧米風俗イッパイの斬新な遊興店が林立して発展してきました。
当時、戦災で丸焼けとなり、全て焼失した栄ミナミに都市復興計画で碁盤割を基本に広い道路空間が計画され、地域民の土地の供出が実施されました。しかし、栄住吉地区の各ブロックには、すべて路地空間が残り、広小路屋台とともに独特な飲み屋文化を醸成していました。地権者、建物所有者、路地道など複雑に権利関係が入り組み反社会勢力の温床となったこともありますが、地元民の努力で環境浄化が進み、健全な飲食街に変わりつつあります。
周辺の再開発にともない今後の対応が課題となりますが、下町の界隈性を活かした情緒ある路地飲食街が健全に発展することを楽しみにしております。
追記:旧町名を復活させる活動をサポートする意味で8年前にスタートした、毎月の住吉の語り部シリーズとうとう101回をむかえました。何度もチョットお休みとも考えましたが、北見昌朗さんの後押し、そして、メンバーの皆さんの協力でここまで続けられたこと感謝しております。
今後は気が向いたら出筆する気軽なペースで地域の話題を紹介できればと思っています。凝りもせず、ご愛読いただいた旧町名の会メンバーの皆様に御礼と謝意を表します。長い間、お付き合いありがとうございました。