料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第55回(2015.10.26)

名門路地街「松竹小路」と懐かしのトリオカレー!

丸栄百貨店南館出入り口とプリンセス大通り
写真1:丸栄百貨店南館出入り口とプリンセス大通り(松竹小路跡地)

戦後、栄ミナミで一番初めにできた小路、名古屋松竹劇場の向いに飲食店が約30店舗勢揃いし、軒を並べていました。昭和50年代に丸栄による開発が進み、お店は全て近隣に移転したりして、昭和59年には増築された丸栄南新館としてオープン。現在は駐車場出入り口となっています。(写真1)

伍味酉・松竹小路店
写真2:伍味酉・松竹小路店  同社HPより

松竹小路の入口には名古屋居酒屋の元祖・伍味酉、数々の骨董品が飾られ、グロテスクなお面や彫刻で人目を引いていました(写真2)。2代目オーナー佐藤嘉晃氏は「栄中部を住み良くする会」会長として、平成16年まで栄ミナミの街づくりリーダーとして尽力されました。ご長女のご主人が同グループを多店舗展開され、次女の女婿・稲本健一さんは(株)ゼットン創業社長、我が国の飲食業界の雄として活躍、「名古屋めし」の発祥といえます。隣の貴金属・宝石卸「柏圭商店」は、加藤日出雄氏が昭和3年創業。戦後はここからスタートし、丸栄百貨店の宝石部を担当され、その後、南の富士フィルム代理店・(株)樫村名古屋支店を取得、平成11年には新組織(株)カシケイとして全国規模のダイヤモンド卸として発展されております。

蛇の目寿司本店も数ある蛇の目グループの元祖? 南の入江町通り「かしわ鳥栄」の西で数年前まで営業されていましたが、今は開発中の空地となっています。

突き当り大型店は割烹「金鯱山」(キンコザン)。昭和19年1月まで角界・幕下23枚目の金鯱山(キンシャチヤマ)さんが戦後いち早くオープンし、大繁盛されていました。御嬢さんの吉田さんは南山中高卒の美人才媛で、横綱大鵬関の花嫁候補と街で噂されていました。開発で東新町に移転され、10年くらい前まで御嬢さんが経営されていました。暖簾分けでは安田通りとんかつ・金鯱山、四日市洋食・金鯱山が頑張っています。

小路の南、富士屋さん。仁志河さんは住吉2丁目(栄3-10-7&8)に移転されお隣同士、ふぐ料理で繁昌されています。

赤門美容室も名門でいつも飲食店のママたちで盛況、多くのお弟子さんが市内で赤門の名前で事業を展開されているようです。

なんといっても思い出深い話題は「トリオのカレー」です。シャビシャビの黄色味の強い独特のカレーが一世を風靡。10坪くらいのお店に連日1000食をサービスしていました。高校帰りの僕達は、いつもならんで当時シングル70円カレーをおやつ代わりに頂いていました。お肉の具はなく、カップライスの横にルー・スープカレーの単一メニュー。でも、たべると“病みつき”になり、リピート客で大賑わいでした。

トリオカレー店・移転後 現在は閉店中
写真3:トリオカレー店・移転後 現在は閉店中

トリオのカレーは「くらぶ亭グループ」の森川さんのお店で、喫茶店のメニューとして店長に開発させたら大ヒット。大量の玉葱をミジンカット炒め、SBカレー粉を使用・・・くらいまでは記憶があります。

実は昨年、NHK教育テレビ「感涙!よみがえりマイスター」でトリオ伝説のカレーを復元しようと企画され、味を覚えている数少ない市民として番組制作のお手伝いをしました。
ご興味あれば、平成26年5月1日放映の感動の映像を下記よりご覧になってください。
http://www.miomio.tv/watch/cc69895/
丸栄の再開発にともない、店舗は伏見(栄2-2-36)に移転、昭和末期まで営業されていました。(写真3)

閉店時のメニューではシングルカレー280円、漬物はいつも紅ショウガ! 福神漬やラッキョウはサービスされず、なぜかと聞いたら「コストが違うからね??」。なるほどと納得した次第。現在でも調理場は現存しており、デッカイ鍋、すり減った俎板、シャモジ、看板など文化遺産として登録してほしいと願う中高年は多いと思います。

名古屋松竹映画劇場
写真4:名古屋松竹映画劇場(S31年3月) 
「昭和の名古屋」P94・名古屋タイムズ・アーカイブス委員会より

また、昭和21年に開館した松竹映画劇場の柿落としは長谷川一夫主演「鯉名の銀平」、38年の新装オープンでは倍賞千恵子も駆けつけ隆盛も、45年に閉館(写真4)。その後、ダイエー栄店を経て、現在はパチンコキング観光・サウザンド栄町店と変遷しております。

松竹小路
松竹小路店舗地図と北側入り口付近の商店 「名古屋なつかしの商店街」P74より転載 風媒社