日活映画館の「栄楽天地」と広小路劇場小路!
地図1:広小路通りと各路地飲み屋街図 「名古屋タイムズ」S27/10/7付
これまで戦後、栄ミナミにできた路地、むつみ小路・松竹小路・栄銀座を紹介してまいりました。今回は南大津通りと日活劇場を結ぶ地域最大?の路地「栄楽天地」(現在の栄NOVA周辺)を調査しました。
実は住吉町の蔦茂からはチョット離れていて通学路でもなかったので、僕の思い出は日活劇場周辺です。無数の飲食店があり南伊勢町の証券マンで賑わい、流しのギターの音色がいつも聞こえていたことくらいしか記憶にない状態です。
旧町名の会メンバーで関東から参加する橋本裕さんから昨年11月の例会で夕刊紙「名古屋タイムズ」(昭和27年10月7日付、記事「廣小路新地図」)をプレゼントされました。鶴舞図書館でコピーしたものだそうです。そこにはすっかり忘れていた栄楽天地飲み屋街が掲載されていましたので、55年前を振り返ってみたいと思います。(地図1)
同紙によれば栄町角のオリエンタルビル建設予定地から西へ17丁の広小路を構成する店舗数調査があります。
地図2:名古屋なつかしの商店街P.24昭和28年1月名タイ紙面より
第1位・喫茶食堂55店、2位・化粧品洋品雑貨28店、3位・銀行信託保険25店、4位・菓子食料品店21店、5位・事務所19店、6位・呉服14店、7位は2業種・靴履物とパチンコ各12店、9位・時計メガネ11店、10位・機械器具10店 そして、大小百貨店8店、写真屋・生花果物店各7店、運動具釣具5店、ホテル旅館・日用雑貨・文具各4店、映画・薬局各3店、書籍2店、ほかに新聞・麻雀・タクシー各1店あって、〆て257店。
そして、南側大小の路地には数百店の居酒屋・飲み屋街があり、賑わっていました。
栄楽天地・日活南の小路(南小路を含む)には小型の飲み屋を中心に58店舗がひしめき軒を並べていました。(地図2)
写真1(左):NOVA西路地、右は元丸庄、現酒蔵館
写真2(右):北小路・左がトーシン本社工事中 明治時代は名古屋証券取引所
写真3:南小路入口・寿証券と日の出写真館ビル
写真4:栄産業・大徳証券看板(閉店中) 南小路奥
正雄君の知っている飲食店は日活南「食堂丸庄」は1年後輩の森朴繁樹君のお店で、今は酒蔵館となっています。現在、嬉しいのはNOVAビルの西側に通路ができ、小路との往来が自由にできることが街の活気づくりに役立っています。(写真1)
そして、斜め向かいの「食堂鳥栄」は数年前まで西の入江町筋に鉄筋4階建て大型店舗で、アツアツの鳥唐揚げの元祖の大繁盛店、舶来物も多い個性豊かな調度品や絵画も話題でしたが、いつのまにか青空駐車場となってしまいました。
明治時代に初めて名古屋証券取引所が開設されたところは戦後丸万証券となり、現在は(株)トーシン本社ビルの建設工事が進捗しています。(写真2)
入江町から南にも路地がつながり北角西には昭和19年設立の寿証券、東側は大正11年創業のヒノデ写真館ビル、そして南小路奥には手形割引金融業の栄産業、近年業態を変えた大徳証券が現存する4店舗となりました。(写真3、写真4)
また、西に2ブロック、本町と広小路角に面した広小路劇場路地の入口・焼肉「雅城園」は白川幼稚園からの同級生の山内一君がいましたので、よく遊びにいきました。雅城園さんも最近まで岡谷鋼機の南にある宝第一ビル地下で営業されていましたが、どこかに移転されたようです。これで劇場小路にあった現存する店は皆無となりました。
劇場の西側にはお洒落なお店が勢揃いで、特に「喫茶CA」は壁面総ガラスでカッコいいカウンターがあり、本格コーヒーの香いっぱいでした。椅子が高くて子供の正雄君には足がつかず、フラフラとしながら真っ黒なUSA進駐軍ドリンク「Coca Cola」の味を知った次第です。今は第一生命ビルとなり面影もない状況です。そして、綿織物大手卸(株)岡田商店、本町を挟んで戦災で焼け残ったグンゼ総代理店の(株)八木文ビルも懐かしい思い出のお店です。
表通りで頑張っているのは「杉本精肉店」さんで、明治33年創業の牛肉・スギモト本店として現在は1階が精肉小売、2階が松阪肉高級レストランとして市民に愛されています。(地図3)
地図3:昭和35年住宅地図・北見昌朗氏より