料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第53回(2015.8.22)

御園町・・・南園町一丁目と御園通商店街

北は名古屋城御園御門から、大須新地「旭の郭」に抜ける御園座西の「御園通り」は上園町・下園町、広小路より南は南園町・常盤町と呼ばれておりました。御園の由来は、清須の御園御門が清須越しで名古屋城西南角に移転したとの説が有力です。遺跡の多い紫川沿いの肥沃な台地が伊勢神宮の荘園として農作物を洲崎神社から奉納したので、大昔から「御園」と呼んでいたのがもとであり、これにちなんで清須越しで御園門を設置した、と祖父はいっていました。

明治30年の御園座開業とともに発展した、粋で文化の香いっぱいの御園地区の住所が栄1丁目ではなんとも寂しいと、平成15年居東屋のご主人・伊藤巧氏は「南園町」復活を求め当局に嘆願書を提出。あと一歩のところで反対者が出て断念! 氏は「未開の地へ移る先人の決意と苦労が旧町名に詰まっている。当時を知る世代が復活させないと歴史が途絶えてしまう」と訴える。この思いを具現化するために、河村市長のマニュフェストにもある「名古屋の旧町名を復活させる有志の会」が平成23年末に発足。毎月定例会を開催し、旧町名復活運動をとおして名古屋の歴史への啓蒙活動をスタートしました。

居東屋は昭和6年呉服町にて創業、御園座復興再建にともない現在地に昭和24年移転。昭和63年にはタワー建設され、4階・能舞台「聚光殿」は、磨き上げられた木目と、色鮮やかな鏡の松が見事です。昭和30年代、伊藤巧会長は料亭蔦茂に週2~3回はお出入りされ、宴会のギフト、芸者衆や仲居の小物を調達いただいておりました。祖父良矩がいつも無理を言っており、関谷歯科さんで金歯から総入れ歯に変えたときには、なんと抜いた金歯の地金に真珠をいれたカフリングを同店金工職人さんに特注。小生の記念の形見となっています。

御園座の門前町「御園通商店街」は劇場工事中による閉店で活気に乏しい現実から、振興組合の松本正義理事長を中心に活性化にも力をいれています。ちょうど本日(8月22日)、「みその歌舞伎フェスタ!」が賑やかに開催され、昔懐かしいお店を訪ねてまいりました。

名古屋なつかしの商店街 中日新聞掲載
「みその歌舞伎フェスタ!」のようす(左)/新聞記事はクリックで拡大表示

名古屋なつかしの商店街
写真:1 名古屋なつかしの商店街 P84
名古屋タイムスアーカイブス委員会編

昭和40年頃の御園通り繁華街地図(写真1)から、御園座の繁栄とともに多くの商店が頑張っている様子がうかがえます。「母と子の心をつなぐ結び糸」松本糸舗さんのキャッチフレーズをご存じの方も多いと思います。はた織の残り糸を1本1本結びつなげて一枚の着物を作り上げるという風習が、尾張では盛んでした。

かって、蔦茂の店内でも仲居さんたちが松本さんで残糸を求め、手作業で結び糸をテニスボールくらいに固く巻いていました。一反の織物製作にふつう1~2ヵ月かけて楽しんでいたようです。その糸を緯糸として織りあげるのですが、結び目が節となり独特の風合いが特徴といえました。御園座南のリッカーミシン名古屋支店を昭和40年代初頭に取得され、個性ある呉服店として拡張されており、東京にも店舗出店されております。

葛谷眼科院は当時と同じ建物で、今は先代のお嬢様が承継されています。小学生の正雄君は大井プールへ行くごとに結膜炎、目が真っ赤に充血し通院していました。待合室に置いてあった山川惣治作の絵物語「少年ケニヤ」、目を腫らして読んでいた思い出が懐かしいです。(写真2)
南の横山硝子店はバラエティーグッズ「よこ山」に、うどん浅井屋さん、肉の杉本さん、そして、角の魚屋「御園丸正」さんも、健在です。振興組合事業でからくり人形「白波五人男」を建設、名古屋芸文化を伝承されています。(写真3)

葛谷眼科院
写真2(左):葛谷眼科院(50年前と同じ建物)、よこ山、肉の杉本
写真3:からくり「白波五人男」、鮮魚・御園丸正、歌舞伎フェスタイベントより

野菜せんべい「秀松堂光楽」「お土産にちょっとなもなもええがなも」のフレーズで名古屋弁看板、そして、名古屋方言競・解説しおり・・・昔同様、大活躍!! お煎餅いろいろあるでなも!!(写真4)
もう一軒、「うす皮饅頭・山本屋」さん。芝居見物のお客さんで長蛇の列となることもしばしばで、売り切れも多く、何度も「饅頭売り切れ」で涙をのんだことか・・・。(写真5)

葛谷眼科院
写真4(左):秀松堂 名古屋名物 方言解意看板が楽しい!
写真5:うす皮饅頭・山本屋 3つの杵ロゴが特徴、御園座土産の代表格

そして、御園座北の宝石のシバタさん、確か住吉町の関谷歯科・関谷昭雄先生の遠縁にあたるとか。名古屋進出の折、歯科の仮店舗が宝石店2階を間借り開業されていました。現在は中京銀行で修行された3代目が活躍、隣接する「小物バッグの百花堂」やユニモール店を経営されています。

東鮨本店、「老舗は常に新しい」をモットーに伝統の味覚を大切に146年。戦前は御園座さんと地下道でつなげてともに発展し、現在もデパ地下、地下街と多店舗展開されています。早稲田大OBの横井太郎社長は写真家としても著名で、月刊『なごや』への投稿や写真展で話題の方です。

名古屋に数ある商店街の中で、50年前からこれほどの店舗が同一地、同一ファミリーで事業承継されているところはないと思います。当分、御園座工事中は厳しい営業環境ですが、400年の歴史「御園通商店街振興組合」の皆さんが力を合わせて、芝居小屋再開に向けて街づくりに邁進されることを祈念しております。