下町情緒感ずる住吉町三丁目・その一
料亭・キャバレーが立ち並ぶ住吉2丁目の南は、名古屋庶民文化の集約地のようで、芸事の師匠、旅館、料理店ほか、魚屋、八百屋、パン屋、カメラ屋、饅頭屋、駄菓子屋、文房具店、喫茶店など店舗兼住宅が多く並んでいます。戦後の「三丁目の夕日」のような人間味のある三業者の下町住吉三丁目をご紹介してまいりましょう。
北見地図版、通り西側参丁目一番地はパン屋の川本さんですが、このころビル建設が始まり昭和36年に飲食雑居テナント塩谷ビルが完成。居酒屋・バーが中心でしたが、スパゲッティハウス ヨコイが2階角に創業して話題となりました。
「そ~れ」で働いていた山岡博さんが生み出したオリジナル「ミラカン」などが後に「あんかけスパゲッティ」と命名され、名古屋めしの代表となりました。筋向えの正雄君の深夜食は移動屋台の「夜鳴きそば」か、ヨコイの70円スパ「スペシャル」をいただいていました。
写真:1 漫画喫茶亜熱帯:塩谷ビル・初政跡地
南の魚屋「初政」森さんは下之一色から戦前は行商されていましたが、戦後いち早く都心に出店し料亭を中心とした高級鮮魚を販売。蔦茂でも毎日、親父さんが魚をさばいていました。10年ほど前までおばあちゃんがお住まいでしたが、焼肉サカイが高級レストランビルを建設され、現在は漫画喫茶「亜熱帯」と変わっています。孫の森保憲さんは現在サテライトジャパンで街の調整役としてご活躍いただいております。(写真1)
文房具「たけいち」はパイロット万年筆の代理店でもあり、昭和5年生まれの竹市稔夫翁は「栄中部を住みよくする会事務局」ほか、長年、地域の振興に尽力され、住吉町景観協定の立役者ともいえます。 建物の躯体はそのままにして賃貸、現在はMJカフェで婚礼の2次会などで賑わっています。
割烹有本は蔦茂旅館・有本料理長が昭和15年尾頭橋で創業。戦後住吉町で大繁盛し、西浦温泉で有本旅館をオープンして一世を風靡したようです。現在は「うなぎ有本」として千種区日岡町で営業。花道家の“小川珊鶴ワールド”など楽しいイベントも開催されています。
旅館鈴蘭荘・スズラン理髪店とも西奥に庭があり、崖下の白川幼稚園から爽やかな風が懐かしく感じられます。現在はピボットハウスとなり、地下の屋台村が話題となったのは15年くらい前のことでしょうか。昭和17年創業の古川商店は私立学校鞄で有名で、現在はオリジナルオーダーバッグ製造の老舗と言えます。
写真2: 古川商店、ミドリヤ 現在も繁盛しています。
南角はミドリヤカメラ先代のDPE専門店でしたが、現在はお孫さん兄弟が婚礼写真などの外販で頑張っていらっしゃいます。親父の福井剛さんは住吉通商店街振興会の理事長で町内の取りまとめ役。ひ孫さんは住吉では唯一の栄小学校生徒ではないかと思います。古地図では「菓子ミドリヤ」となっており、剛さんの母上がパン屋さんでした。食パンの一斤から16枚に薄切りする包丁妙技は幼い頃の思い出です。(写真2)
ミドリヤさんから西へ現存するのは、お洒落なバッグ問屋の共立袋物(株)のみとなっています。花屋町筋・華道の松月堂、お祭り子供獅子でお世話になった佐々木宅も懐かしい町家造りの居宅でした。
写真3:らく楽・屋根でのTVアンテナ取り付け:
昭和28年(ぼくらのテレビ塔より)
住吉町参丁目弐八番地「旅館らく楽」の創業者・白瀧京次郎翁は郡上八幡北・白瀧地区の豪農から名古屋で大正時代にカフェーブームを作り、関東にも進出、粋な遊興人としても祖父深田良矩以上の話題多き人物です。 東京・銀座でクラブ『姫』のママ山口洋子(直木賞作家としても著名)のご尊父でもあると噂されています。2代目昭三氏とは父正矩も親しく、親子3代のお付き合いです。正雄君はらく楽さんの長い広い廊下を駈けっこで遊び、テレビの試験放送で空手チョップ・プロレス力道山や大相撲鏡里・吉葉山の大一番を近所総動員でハラハラドキドキしてみていました。現当主の京次郎氏の孫・正人さんは料亭からインペリアルプラザとされ不動産業ほか介護事業でも幅広くビジネス展開、栄ミナミ地域の街づくりの中核として大活躍されています。(写真3)
株式会社美篶商会(みすずしょうかい)は、かつて存在した日本のカメラメーカー、写真機材商社で富士フイルム総代理店として大手企業。名古屋支店は石造り3階建、中庭のある洒落た建物で印象的でした。現在は豊橋・甲羅グループが若者向け飲食店を展開されています。
住吉通りには雀おどり支店、南大津通りの総本舗・船橋さんの弟さんが経営されていたようです。現在は、矢場町から移転された繊維の熊田(株)となっています。インプラントの権威・関谷昭雄さんの歯科医院が、昭和30年頃に御園座北の宝石のシバタさん2階仮店舗から移転されました。大の鮎釣りマニアで父・正矩と夏場には毎週のように長良川・飛騨川水系に釣行していました。先生は今もお元気に診療され、釣場での診断のお蔭で正雄君は歯の痛みを知らないまま一生を終わりそうです。
写真4: つたも駐車場とレストランヴォーノ:喫茶サボン・間瀬商店跡地
喫茶サボンは住吉の社交場としていつも賑わっていました。足立ファミリーで親父さんは大工の棟梁、奥さんが店の切り盛りをされていました。息子の行久君は僕と白川幼稚園から同級生。やんちゃ坊主でいつも“お坊ちゃま正雄君”はいじめられてばかりでした。
行久君は江口巌商店の総務担当、江口浩平オーナーの秘蔵っ子として活躍されていました。
お姉ちゃんは茶道の先生で、蔦茂で茶会など開催いただいております。サボンさんと間瀬商店跡地が蔦茂駐車場となっています。元は八百屋町の蔦茂支店がアメリカ村に接収され返還後、鉄砲町の森本商店さんに売却、買い替え土地として取得いたしました。板場スタッフの社宅として使用していましたが、平成となりコインパークやレストラン「そぞろあるき」など展開しております。(写真4)
思い出深き3丁目、次回「その2」は南の西川鯉次郎さん、人形の清村さんなど、下町の伝統文化芸能についてもお話ししたいと思います。
住吉町3丁目地図(昭和35年頃の住宅図、北見氏より)