料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第38回(2014.5.26)

末広町:御洒落会・きた福

北見さんの町名説明によれば、「名古屋城築城後、一帯が松原であったので松原町となったが、将軍綱吉の養女に松姫が迎えらえると、松の字を避けて末広町と改名された」とのこと。

末広の由来は江戸時代大久保見町南の木戸から本町通りの道幅が広く南に末広がりとなっていたことや、若宮八幡社の門前に扇屋があったとかいわれています。
いずれも事実で、35年版地図には東南角から3軒目には「大国屋・扇子店」がございました。
大国屋さんは住吉2丁目蔦茂の西に移転されましたが、オリジナル手作り扇店として今も営業され、若宮祭礼の扇子制作などお世話になっております。

伊勢門水宅跡看板
写真:1 伊勢門水宅跡看板

旦那衆・末広町の粋男、伊勢門水翁を紹介しなくてはなりません。末広町2丁目28番伊勢屋薬局水野の前には名古屋市教育委員会の門水宅跡の史跡看板があり、往時を偲ぶことができます。(写真1)

伊勢門水:本名・水野宇右衛門、 御洒落会・主宰(1859年~1932年)

御洒落会大口六兵衛氏の葬儀後、初七日でのメンバー写真:左端が門水
写真:2 御洒落会大口六兵衛氏の葬儀後、初七日でのメンバー写真:左端が門水

芸名は屋号の「伊勢屋」にちなみ、さらに本名を「水の上の門」と洒落て「門水」と号した。伊勢屋は旗商だが、昔は薬業を営み、明治になってから転業したという。狂言師として6歳で4世早川幸八に入門。明治16年に「三番叟」を披く。明治35年には自宅の庭に舞台を造り、「鳳友舞台」と名付け、素人の子弟に狂言を教えたが、実は門水は稽古嫌いでも有名だったらしい。芸風は洒脱な芸で独特なとぼけた味があった。「鬼瓦」の大名の人情味、「大藤内」などを得意とし、また「唐船」の間狂言で唐人の船頭などに扮する時、最も印象的であったと言う。また、狂言画、狂歌、戯作にも長けており、新作狂言や常磐津作詞、著作も数々ある当地の誇る文化人であり、祖父良矩の尊敬する「遊興人」であったようです。門水と仲間たちの繰り広げたキテレツな振る舞いのサークルが「御洒落会」!(写真2)。その下らなさは想像以上でした。大の大人がこんなことに心血を注いでいたのか、と呆れを通り越して、畏敬の念まで湧いてくるほどです。(狂言共同社など、HPより)

同地はご一族が「KSイセヤビル」として、複合テナントビル経営をされているようです。

矢場町1丁目骨董商・前田寿仙堂の三男、木村哲央氏は門水研究家でもあり、作品のコレクターです。同氏は千種区古川美術館近くにて店名「御洒落」美術店を経営されています。

 

同町デビューしたもう一人の奇人、山田才吉翁(1852年~1937年)は1880年(明治14年)に若宮末広座北隣り東陽町筋に、漬物屋「きた福」を開店。
この頃に守口漬(守口大根の味醂粕漬)を考案したとされ、これが評判スタート。1884年(明治17年)には日本缶詰を立ち上げて、愛知県下で初めて缶詰製造販売に参入。日清戦争・日露戦争で大量の軍用缶詰の注文を受けて、さらなる財をなした。
そして、都心の遊園地付テーマパーク料亭「東陽館」を東陽町4丁目(現中土木事務所あたり)に、水族館・プール併設3階建「南陽館」を築地(現東築地小学校)に、可児市に木曽川河畔リゾート「北陽館」を開業。
名鉄常滑線聚楽園駅には海辺の別荘地に料理旅館「聚楽園」、そして1927年天皇陛下(昭和天皇)御成婚記念事業として阿弥陀如来大仏を建立され、現在も東海市の名所となっています。
各地へのアクセスとして熱田電気鉄道など交通事業を、PR機関として中京新報を創刊のほか、議会活動にも熱心であったといわれています。
同氏の「きた福」は広小路「喜多福総本家」として承継され、守口漬の製造販売を続けています。

末広町は若宮八幡社の門前町として繁栄。若宮祭では各町内をトップ先導し、豪華絢爛・黒船行列は他六町内「山車からくり」と比べランクが違ったそうです。(祖父・良矩談)

南寺町は若宮から本町通りを南に続きますが、寺社仏閣の本堂は通りの東は全て南向き。西側は本町通りを起点に東向きに建造。清州越え家康の街づくりの原点となっています。

末広町で焼失を免れた2棟:佐藤タオルさんと北隣のショップ
写真:3 末広町で焼失を免れた2棟:佐藤タオルさんと北隣のショップ

また、戦災で全て焼失した末広町でも現存する鉄筋コンクリートの佐藤タオルさんは炎上を免れ、躯体は当時の面影を残しタオル問屋として営業を継続されています。
北隣のビルも焼け残ったようで、宮吉ガラスさんの関連か、ステンドグラスやレンガ彫刻から大正ロマンの香りがいたします。最近まで高級ステーキレストラン白川亭でしたが、いつのまにかアンティーク衣料のお店になっていました。(写真3・4)

次回は、末広町旦那衆のお話をいたしたいと思います。

末広町で焼失を免れた2棟:佐藤タオルさんと北隣のショップ
写真:4 平成26年5月16日若宮祭礼・末広町の当番で山車御渡中の
休憩。筆者スナップ:後方はS35年当時:味岡屋・宮吉ガラス・佐藤タオル