昭和30年代地図から「南呉服町1-2丁目の思い出」
前回に続き、名古屋の旧町名を復活させる有志の会代表の北見昌朗さんからいただいた昭和35年頃の中区地図から、プリンセス大通り界隈のエピソードをご紹介しましょう。
昭和58年鉄鋼業を営む天野氏が東京第一ホテルの開業指導をえて、プリンセスガーデンホテルをオープン、その時、町内に南呉服町通りの名称を変更して欲しいと要請。南呉服町発展会長の故佐藤嘉晃からアーチや街路灯などの協力を基本条件に通称変更したと聞いています。その後、ホテルオーナーの変更にもかかわらず、ホテル名が変わらないのは通りの名称の効果も大きいようです。
広小路通りでは、(株)ダイテックホールデイングが山一証券ビルに続き、丸善ビル、明治屋ビルを取得し再開発、興和グループが丸栄百貨店、栄町ビル周辺のデベロップメント計画がいろいろ噂されております。
今月に入り丸善ビルが完全に取り壊され、コインパーキングオープンの案内が大きく掲示、栄銀座の路地裏イメージから写真のようにオープン飲食街と変化していますが、旧地図にある餃子の夜来香、割烹八幡屋の2軒が頑張っています。
南角は松竹映画劇場ステート座から、ダイエー栄店を経て、キング観光の超大型パチンコ店と変わっています。(下記写真、参照)
左写真:広小路南呉服町角、旧丸善ビル
2013年末に取り壊され、14年2月よりコインパーキング開業予定。
奥の栄銀座には夜来香さん、八幡屋さんの看板が懐かしい。南ビルはパチンコ/キング観光・サウザンド栄町店。
おむかえの丸栄デパート南は松竹小路の飲食街が立ち退き丸栄新南館・昭和59年に新装増築オープンとなりましたが、小路の奥にあった伍味酉、金鯱山が懐かしく感じます。
路地南には幼稚園から東海高校まで同期友人の西脇義訓君の大きな自宅があり、入り口には番傘が陳列、そして、居間にはデッカイピアノが鎮座する音楽一家、そして裏庭にはイチジクの大木があり、弟の稔君と一緒に木登りしてイチジクを食べた思い出があります。実は、ここは120年の歴史のある末広町・西脇(株)の羅紗販売の闇支店として、統制で服地が表向き商い出来ないので傘屋を装っていた名残と聞いて納得しました。ちなみに小生が後に経営した同じ通り南300mの森島羅紗店は終戦後・表向き竹籠屋であったようです。
そして、パチンコ&スロット「フジ」に買収された数店の飲食店が軒を並べ、お洒落な喫茶店「茶ばしら」は現在スカイパーキング、南角には河新カマボコ店と蝶屋はきもの店は一年先輩の石田しんちゃんの住まい、できたてのチクワをほおばりながら栄小学校に通学したことが思い出されます。現在、同氏は弁護士として活躍中と聞いています。
南のブロックで同じ場所に現存するのは、3軒のみとなりました。現南呉服町発展会会長・加藤貞夫さん「ふじみや」名古屋コーチン料理で有名ですが、当時は木炭屋も併設されていました。
他には、むつみ小路「うなぎ・以ば昇」「キッチンゲラン」、西ブロックに移転された「すし・幸楽」も懐かしいお店です。南側には料亭万代のビル、地下「クラブよしみ」のママは名妓連の売れっ子OBとして有名。現在は札幌かに本家栄中央店となっています。
アカシヤ洋裁店は超高級婦人服オーダーサロンで一世を風靡、母もお世話になったようです。玉川旅館の親父さんは犬好きで大型犬のダルメシアンやコリーなどを連れて散歩された姿が思い出されます。
南呉服町二丁目西北角は(株)テーラー三星、高級紳士服地スリースターテックスを晒谷さんが仕立て、南隣のパン屋「大ます」には貸自転車・手荷物一時預かりの看板、西隣にはお洒落な喫茶ケルン、路地を入ると小竹さんの「パーマ丸美」、左枝さんのキャバレー「ルナパーク」進駐軍撤退後も繁盛していましたが、現在はガーラントホテルとなりました。
なんといっても懐かしの銭湯「栄温泉」をご紹介しなくては、「からくり紋々?」のお客もちらほら、背中流しのおじさんがいる栄唯一の公衆浴場として憩いのスポット。でも、正雄君にはお風呂の湯が熱くていつも「烏の行水」、ゆっくり富士山壁画鑑賞もできませんでしたが、番台横コーヒー牛乳の味が忘れられません。現在はプリンセスパーキング、南隣は富士フイルム販売総代理店の樫村洋行(株)でしたが、今は宝石卸の柏圭さんの本社となっています。
南角は当時ナンバーワン高級クラブ「バーウィンゼル」稲葉大ママはゴルフ大好き、名古屋ゴルフクラブの戦後チャーターメンバーで女性ローカー番号NO.1、お嬢様の真寿美ちゃんは女子プロゴルファー1979年デビュー、80年代には大活躍したことをご存知ですか。僕より2つ下の真寿美ちゃんは朝寝坊で、集団登校に遅れそうになると正雄君はクラブ上の自宅ベルを鳴らして「遅れるよー!!」と叫んでいた思い出もあります。30年のちには和合コースでは大分、絞られましたが、ゴルフはちっとも上達しませんでした。
西隣にはバークインメリー、なぜかメイフラワーの山田久太郎さんが居住され赤いサンダーバードが一階に駐車されていました。提灯卸・平松商店は現在、競輪場外車券販売場サテライト名古屋となりました。そして、昭和38年頃完成したグランドビルは名古屋で初めての内装付賃貸レジャービルとして今でも住吉地区のランドマークとなっています。
下図は昭和35年中区住宅地図12・13ページ・南呉服町1-2丁目周辺