料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第29回(2013.8.26)

住吉通都市景観協定から栄ミナミ・デザインコンセプト

住吉町は広小路より南に向かって、1ブロック入江町通りまでを1丁目、三蔵通りまでを2丁目、そして、白川通りと一部南までを3丁目となり、それぞれの町内会があります。

住吉2丁目町内会の代表は戦後から蔦茂がお世話しており、祖父良矩が昭和47年の逝去まで会長、その後は父正矩が昭和63年頃まで担当しておりました。時代は平成となり会長職は料亭灘屋・伊藤泰弘社長が平成7-8年頃まで、そして、鞄卸業(株)近藤産業の近藤勤社長が平成10年まで、「寿司ひろ」ご主人鬼頭釼二さんが平成22年まで歴任されておりました。しかし、いずれも癌の病にて急逝され、十分な資料が保存されていないのが残念に思われます。

昭和30-40年代、1丁目はサラリーマンの勤め帰りに立ち寄る居酒屋・バーが中心、2丁目はキャバレーと料亭、3丁目は鞄・文具問屋、旅館、住居が混在しており街の個性が異なっていたようです。

昭和53年3月に三町内をまとめた住吉商店街振興組合が発足。初代理事長に近藤産業の勤氏の父上、近藤信一氏が就任され、住吉通りとして街づくり活動の嚆矢となったと聞いています。その後、代表は水野喬樹氏、浅井定一氏から現在はミドリヤさんの福井剛さん引き継がれております。

そして、一昨年から南大津通り、南伊勢町、プリンセス大通り各商店街と連合した「栄ミナミ商店街連盟」(代表:勝田明氏)が発足。秋のNAGO-1グランプリを主催、地域のコンセプト創り、イメージ統合などが話し合われております。

平成7年にナディアパークが開業、矢場公園や地下のエンゼルパーク駐車場の整備に伴い、行政からの支援も受けて近隣地区の商店街としての街づくりが活発化してまいりました。住吉通りでは灘屋・伊藤さんが中心となり、3基のアーケード設置。舗道には各店の由緒ある陶板256枚を設置して、飲食繁華街活性化のモデルケースとして話題となりました。

住吉通都市景観協定表紙
住吉通都市景観協定表紙:平成9年9月8日認定 第3号

同時に、住吉通都市景観協定を地権者の総意を得て平成9年7月18日に締結、「美と食のクロスオーバータウン」「食文化の発信基地」の機能を分担し、沿道関係者のまちづくりに対する意思統一を図り、調和のとれた街づくり活動を継続しております。平成19年には竹市稔夫氏のとりまとめで平成29年まで延長更新されております。自主運営管理は「住吉通りまちづくりの会」の名のもと、商店街組合が一体化して、「おもてなし、和の心、歩いて楽しい」をテーマに景観形成の基準を設定運用しております。

同様な景観協定は栄ミナミ地区では、南大津通り(南北)白川通り(東西)にても運用されていますが、今後は栄ミナミ商店街連盟全域でのイメージ統合に基づく意思統一を前提に検討されていく方向性が確認されております。

住吉通りコンセプト
住吉通りコンセプト
名古屋工業大学伊藤孝紀研究室 平成25年4月16日計画案より

平成22年春より、名古屋工業大学伊藤孝紀研究室のスタッフが研究テーマとして「栄ミナミまちづくり計画プロジェクト」をスタート。栄ミナミ地域活性化協議会そして、各商店街とデザインルールについて毎週のように話し合い検討がなされております。

伊藤先生の熱意と学生の旺盛なボランティア精神から、具体的な栄ミナミのコンセプト創りが、~歩いて楽しい街、栄ミナミ~の計画案が本年5月に発表、地域の交通問題、駐輪システム、ごみ処理なども含めて広範な提言がなされております。各通りのターゲットを定め、通りの個性を高める提案から、住吉通りは「季節で表情を変える大人の街道」コンセプトでデザイン展開が興味深く検討されています。