名古屋の旧町名を復活させる有志の会
料亭蔦茂の住所は栄3-9-21、何ともロマンも粋も文化も感じさせない。昭和41年の町名変更までは住吉町2丁目26番地、長年にわたり繁華街の中心「住吉」といえば料亭の並ぶ花街のイメージが昔の人々には想像できました。それでも町内会とアーケード・通りの名前には住吉名が残っているのが救いともいえました。このシリーズでも町の説明は全て旧町名、住んでいる人々や商い、歴史を彷彿とさせる趣を感じております。
私の所属している名古屋中ロータリークラブの2011年8月8日例会卓話で知人の北見式賃金研究所・北見昌朗さんが、宝暦12年(1762年)江戸中期の名古屋地図を配布しながら旧町名から清州越えの逸話など興味あるお話に共鳴したのがキッカケといえます。
北見さんは、同年に明治時代の地図と著名人のエピソード、そして今月には大正時代のマップを自費出版されボランティア魂豊かに地域の歴史について啓蒙活動を実施されています。
名古屋の大正時代の古地図(北見さんより):ここは栄のど真ん中。
松坂屋のルーツ「いとう呉服店」が栄の交差点(現丸栄スカイル)にあります
「名古屋の昔の町名が失われて久しいです。例えば、長者町とか、茶屋町とか、御園町とか、素晴らしい歴史のある由緒ある地名がなくなってしまったことは、名古屋人にとって寂しいことです。地名は、歴史そのものだからです。その地名を消してしまうことは、歴史そのものの喪失と同じです。昔の由緒ある地名を復活させたい、そう思っている人は多いはずです」(北見氏談)
そこで「名古屋の旧町名を復活させる有志の会」を北見さんに代表となっていただき、私が世話人となり、昨年春に発足しました。
そして、大村光子議員(減税日本)平成24年3月7日名古屋市議会で、旧町名の復活を求めて個人質問を行い、歴史好きな河村たかし市長の賛同も受け、有志の会が発足。毎月、例会で旧町名の認知啓蒙活動を目的に勉強会をしながら由緒の情報発信や金沢市など町名復活の事例研究などを継続しております。
町名を変更するには、住民や事業者など関係者の理解と協力が必要です。まず地元住民の方々の機運が盛り上がり、その上で主体的な合意形成に至ることが大切です。そのためには、新しい人々に名古屋の歴史や地名の由来に興味をもっていただき、旧町名使用のメリットを感じていただくこと、そして、祭りやイベント、町内会などで地域の特性・個性と近世の名古屋歴史文化を知っていただかなくてはなりません。
名古屋城・堀の外側が「丸の内?」、御園座が南園町ではなく「栄1丁目?」……おかしな表示と思いませんか? かつては郵便配達には便利なこともあったかと聞いていますが?
3月の第12回例会は昭和7年建築の陶磁器会館のホールで
河村市長をお迎えし37名の出席者で盛り上りました。
例会は興味ある方ならどなたでも大歓迎。毎月、ご支援いただいている日置達郎社長・札幌かに本家栄中央店(南呉服町2)か、料亭つたも(住吉町2)にて毎月最終土曜日の夕刻6:00より開催しています。セミナー討論会、そして懇親会(会費@5000円)を開催しておりますのでお気軽に参加いただければ嬉しく思います。