料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第24回(2013.3.24)

ぼくらのテレビ塔、そして、エンゼルパーク!

久屋大通? 子供の頃は「地の果て…」、大きな空地の北にトンデモない鉄塔建設? 台風が到来して倒れたら家の屋根までくるかと、子供達で心配しておりました。

栄ローンテニス倶楽部
栄ローンテニス倶楽部(名タイ昭和文庫③ ぼくらの名古屋テレビ塔 より)
名古屋公衆図書館
名古屋公衆図書館(大正14年設立当時、鈴木禎次設計
エンゼル球場
エンゼル球場(名タイ昭和文庫③ ぼくらの名古屋テレビ塔 より)

完成したらとてもカッコいいタワーで、エレベターは有料でしたが、チビッ子は階段で登るとタダでしたので、近所のガキどもと恐々フーフーと展望台まで登っておりました。東側(現在の芸文センター)には、テニスコートがあり、進駐軍ではなく日本人がプレーしていたようで嬉しかった記憶があります。その南は、栄児童図書館です。3階建のレトロ調レンガビルで、絵本や漫画がいっぱいで興奮、特に「少年ケニア」は金髪の女の子ケートに憧れ、一気に読みました。建物は焼け残ったけど、外人に接収されませんでした。

名古屋財界の重鎮、祖父の尊敬する矢田績氏の寄贈の名古屋公衆図書館(栄図書館)は平成6年に現在の建物に改築され、西館に移された今も胸像は2階庭園に佇み、ひっそりと図書館を見守っているようです。

そして、南には中央教会。蔦をからませた古風な建物がとても入りづらい感じでした。やっと高校生になり、キリスト教系の女学生に案内され、訳も分からず礼拝したのです。

広大な空地のど真中(現在のバスターミナル)の朝日生命ビルはなんと、引きずり工法で100mほど東に移転、現在の区役所ビルの前身です。後、角地に中日ビル完成が昭和41年、屋上の上にグルグル床が廻る回転レストランがランドマークとなりました。

空地の最南端はエンゼルパークと野球場、少年野球大会開催、名古屋まつり英傑行列集合場所、エンゼルは森永乳業のシンボルマークでベビーブーム団塊世代に粉末乳の販売促進策でスポンサーになったとか??

そして、若宮通りと交差するあたり名古屋タイムズ社屋からは夜間に航空管制ライトが青、赤、黄色と気味悪く市内を照らしていたのが思い出されます。その南には、平屋の市営住宅がずらりと並び、若宮通りには違法建築のバラック小屋が林立しておりました。100m道路の広大なる空地が徐々に整備され、久屋大通公園となりましたが、昭和50年代は「暴走族、麻薬密売、ホームレス」対策で、地元の対応は大変であったと聞いております。

最近は、セントラルパーク、オアシス21、テレビ塔リニューアル、そして、久屋大通発展会の充実など、素晴らしい街づくりのモデルとなってまいりました。河村たかし市長が公園から道路を撤去して、「虎が走りまわる」NYセントラルパーク並みの癒しの場造りを打ち出すなど夢が膨らんでまいりました。

今年5月11-12日の栄ミナミ音楽祭はテレビ塔を中心に一体化したイベントを計画、今後の展開が楽しみになってきました。