<第7回例会> 名古屋の古地図の見方・楽しみ方
日 時: 平成24年8月25日 土曜日 18時から
講 師: 松村冬樹先生(元名古屋市博物館の学芸員で、古地図の作成者)「名古屋の古地図の見方・楽しみ方」
場 所: 札幌かに本家 名古屋市中区栄3-8-28
http://www.kani-honke.co.jp/tenpo/06sakachuo.html
例会の講師としてビッグな人物が決まりました。名古屋市の元学芸員の松村冬樹先生です。
8月25日 土曜日 『名古屋の古地図の見方・楽しみ方』
名古屋市博物館が作成した城下町の復元マップをご存じですね?
それを作成されたのが松村先生です。
だから名古屋の古地図研究で、松村先生以上の方はいないと思います。
http://allabout.co.jp/gm/gc/43762/
松村冬樹先生は「尾張藩「藩士名寄」のデータベース化」をされた方です。その調査に寄れば、「江戸時代の人事システムは家柄重視ではなく、実力重視であった」とか。
尾張藩の事例によると、三奉行(勘定奉行、町奉行、寺社奉行)のうち、勘定奉行などでは、半数近くが「規式」という最下位の藩士からの出世であったという。
芦沢藤蔵の例。23歳で家督を相続し、150石。35歳までに、大番組(軍隊勤務・歩兵)、勘定吟味役頭(財務課課長)、留書頭並(文書課長補佐)を経験し、37歳で勘定奉行並(財務部次長、300石)、39歳で勘定奉行(財務部長)、51歳で寺社奉行を経験し、57歳で用人(秘書室幹部、800石)、側用人(秘書室長、1000石)、62歳で城代格(取締役、1200石)という。むろんここに家柄などが加味されるのであろうが、今も昔も縁故ばかりでは経営は成り立たなかったようだ。
河村市長の先祖も、調査されています。
歴史好き河村市長の先祖は書物奉行 今も蔵書四千冊
織田信長の楽市楽座に、御三家筆頭の尾張藩-。19日の所信表明で、随所に歴史の一幕をちりばめた名古屋市の河村たかし市長。古いもの好きのルーツを探ると、江戸時代に尾張藩の書物奉行を務め、国学者として知られた先祖に突き当たる。先祖がのこした4千冊の蔵書は、鶴舞中央図書館(名古屋市昭和区)に保管され、「河村文庫」として今も公開されている。 先祖は河村秀頴(ひでかい)(1718~83年)。徳川家康の死去により尾張、紀伊、水戸の御三家に分けられた書物を管理した書物奉行で、五百石の中級武士だった。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009062290103801.html
中日新聞は、こんな面白い記事を載せています。
「広小路通を東に向かって歩いてきて」-。自分の居場所を人に電話で知らせるとき、名古屋っ子は方位を使って伝えることが多い。学生時代を過ごした東京ではあまり耳にしなかった。名古屋は、城下町のあった中区辺りで大通りが東西南北に走っているため、方位で言うのが分かりやすいらしい。でも、「城下町は5度傾いているんですよ」。取材先で思わぬことを耳にした。いてもたってもいられず、特走の開始だ。
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/ntok0071/list/CK2008102802100037