講演「名古屋の旧町名復活」
平成26年10月25日(土)に北見昌朗が講演いたします。
- 講演:揚輝荘 定期セミナー「名古屋の旧町名復活」
- 日時:10月25日(土) 午後1時30分~2時30分
- 会場:聴松閣 地階多目的室(旧舞踏場)
- 参加費無料(要聴松閣観覧料)
*席に限りがあります。ご了承下さい。
詳しくは揚輝荘ホームページをご覧ください。
講演「名古屋の古地図の見方と楽しみ方」
平成26年10月26日(日)に北見昌朗が講演いたします。
- 講演:第39回 堀川文化講座「名古屋の古地図の見方と楽しみ方」
- 日時:10月26日(日) 午後2時~3時30分(受付1時30分より)
- 会場:名古屋市中区役所 6階大会議室
- 定員:150名(当日先着順)
- 入場無料
詳しくは画像をクリックしてください。
花の名古屋の碁盤割
「花の名古屋の碁盤割」という歌の音源をお聴きいただけます。
音源はこちら。
歌っているのは【平安桜】さんです。
普段は「平安桜」という名前で三味線とオカリナにより演奏をされてます。
「この『花の名古屋の碁盤割』は中区の100周年記念事業に合わせて作ったもので普段は歌ってないのですが、せっかくなので今後はこの曲ももっと広げていけたらいいと思い、現在この曲を『音頭』や『子供向け』などにアレンジしている最中」とのことです。
詳しいプロフィールは、画像をクリックすると
PDFファイルでご覧いただけます。
北見昌朗の新刊『愛知千年企業-明治時代編』ができました!
愛知千年企業 明治時代編
『坂の上の雲』の時代を生き抜いた名古屋商人群像を描く!
発行:中日新聞社
四六版 460ページ
価格: 1,785円(税込)
明治初頭、尾張藩の版籍奉還により下級武士は職を失い、商人の時代が訪れた。日本政府は富国強兵を推進、日清・日露戦争が勃発する。激動のさなか、繊維業・材木業・呉服業・製造業などから頭角を現し、名古屋産業界の礎を築き上げた名古屋商人たちがいた。『坂の上の雲』の登場人物とトヨタの祖、豊田佐吉のエピソードも交え、明治を彩る商人の生き様を綴る。
【ご購入方法】
- ・愛知県内にお住まいの方は、三洋堂書店でお買い求めください。
- ・アマゾンでもご購入いただけます。こちら
なお、「愛知千年企業 江戸時代編―幕末を生き抜いた名古屋商人に学ぶ―」(中日新聞社)は、北見式賃金研究所までお申し込み下さい。
2013年7月24日付 中日新聞に掲載されました
画像をクリックするとPDFファイルで記事をご覧いただけます。
「名古屋市中心市街地活性化シンポジウム」にて講演しました。(平成26年3月1日)
パネルディスカッション: 「活力が持続できる中心市街地の形成にむけて」
ロータリークラブ(愛知県名古屋市)卓話を北見昌朗にご依頼下さい!
名古屋旧町名復活運動の貴重な第一歩!
大村光子議員(減税日本)平成24年3月7日
名古屋市議会で、旧町名の復活を求めて個人質問を行う。
それに対する回答。その模様をアップしていますので、詳しくは以下の動画をご覧下さい。
市民経済局長 慎重な検討が必要
「旧町名の復活を目指す有志の会の活動については、話を聴いている。だが、それに対する反応は様々なようだ。町名を変更するには、住民や事業者など関係者のご理解が必要だ。まず地元住民の方々の機運が盛り上がり、その上で主体的な合意形成に至ることが必要で、その上での判断になると思う。市としては“慎重に”検討していきたい」
河村たかし名古屋市長 是非やっていきたい
「旧町名の復活は、大賛成だ。いま我々がこうしていられるのも先人のおかげで、感謝するべきだ。先人がどうやって努力されてこられたのか、歴史を学ぶ必要がある。旧町名の復活には“地域住民の総意”が必要だが、市としては単に待っているだけではなく、引っ張っていきたい。チームを編成して取り組みたい。旧町名の復活は、防災という観点からも必要だ。地名には災害の歴史が刻み込まれていることが多いので、それを消してはいけない。議員時代に郵政省に町名変更を問うたことがあったが、●町●番地という表示を残してくれれば問題ないとのことだった」
平成24年3月7日の中日新聞の記事
本日、大村光子議員が議会で個人質問します。最高の援護射撃になりました。
中村禎一郎記者、ありがとうございます。北見昌朗 拝
名古屋の旧町名を復活させる有志の会 発足しました
名古屋の昔の町名が失われて久しいです。例えば、長者町とか、茶屋町とか、御園町とか、素晴らしい歴史のある由緒ある地名がなくなってしまったことは、名古屋人にとって寂しいことです。地名は、歴史そのものだからです。その地名を消してしまうことは、歴史そのものの喪失と同じです。昔の由緒ある地名を復活させたい、そう思っている人は多いはずです。
そこで名古屋の旧町名を復活させる有志の会を発足しました。
月1回の例会の模様は、トップページ/例会案内よりご覧ください。
フェイスブックのページができました
フェイスブックで「名古屋の旧町名を復活させる有志の会」のページを作りました。
http://www.facebook.com/groups/334351686611768/
ぜひ、お友達の申請をして、グループにご参加下さい。
加入されると、運動の様子がよくわかります。
よろしくお願い致します。
北見昌朗 拝
(23年8月に河村市長あてに送った質問状に対する回答です。市当局の姿勢がよく表れています)
画像をクリックするとpdfファイルでごらんいただけます。
◆大失敗だった昭和41年の町名変更
皆様、今日は。私は北見昌朗と申します。
私は、ひとつの志を抱いています。それは、名古屋に昔あった旧町名を復活させることです。その一念で、このサイト『名古屋の旧町名の復活を目指す有志の会』を立ち上げました。
名古屋は、昔の町名を廃棄し、現在の町名になったのは昭和41年だと聞いています。中区の市街地には、例えば、茶屋町、京町、長者町、鉄砲町、八百屋町、関鍛冶町、蒲焼町など由緒正しき町名がありました。城下町らしい、情緒溢れる素晴らしいものばかりでした。
しかし、それらは現在、錦とか栄とか丸の内等の町名になっています。例えば「錦1丁目1番地」という感じで、あたかも記号のような住所です。まったく味気ない地名です。だいたいおかしいのは「丸の内」という町名です。丸の内というからには本来ならお堀の中であるはずなのに、お堀の外になっているではないですか? この丸の内という町名は、いかにも東京風であり、東京コンプレックスだというほかありません。
尾張名古屋は、御三家筆頭。尾張藩は、江戸の昔、独自の歴史や文化をはぐくんできました。幕府とも一線を画していましたので、独自性があったはずです。そのプライドを考えるのなら、丸の内はいただけないと思うのは、私だけでしょうか?
◆「鷹匠町」と「城西町」 どっちが良い?
ここで1つのクイズを出しましょう。
クイズその① 「鷹匠町」は現在の何町か?
「鷹匠町」といわれて、スグわかる人は少ないかもしれませんね。それはお城の西側で、キャッスルホテルのある場所です。その名でわかる通り、お殿様の鷹狩りをするお伴を務める鷹匠の住む町でした。この町名がいま何になっているのかと言いますと「城西町」です。城の西にあるから城西町というわけですが、ネーミングとして、あまりにも能が無さ過ぎると思いませんか? この城西町というは、市役所の役人が付けた名前だと思いますが、その感覚の次元に低さに、腹が立つのも通り過ぎ、呆れてしまいます。「鷹匠町」と「城西町」とを比べて、どちらが良いネーミングですか? 答えは言うまでもありませんね。
◆町名を探ると偉人の歴史に辿り着く
ここで1つのクイズを出しましょう。次の町名を聞いて、どこだかわかる人がいますか?
クイズその② 「錦3丁目6番地」はどこでしょうか?
これだけ聞いて、アソコだとピンとくる人はあまりいないですよね? それは興和(株)のあるブロックです。大津通を挟んで西側は「錦3丁目7番地」という町名で、大日本インキのあるブロックになります。ところで、この錦3丁目の6番地および7番地は、昔の町名が「朝日町1丁目」周辺でした。さあ、そこで次の質問です。
クイズその③ この「朝日町1丁目」というのは、誰にゆかりのある場所でしょうか? 次の中からお選び下さい。
- A 徳川宗春
- B 豊田佐吉
- C 成田きん蟹江ぎん
- D 盛田昭夫
正解は「B豊田佐吉」です。豊田佐吉翁は慶応3年生まれだから、明治の元号と同じ年齢になります。明治28年に名古屋に出てきて、「朝日町1丁目12」で糸繰返機の製造販売業を創業しました。その場所は錦3丁目6(興和本社)および7の近辺です。翌29年には「寶町3丁目66」に移転しましたが、その場所はテレビ゙塔のあるブロックの東南近辺です。明治30年に「武平町3丁目15」に移転して、動力織機の製造販売を始めました。その場所は東区泉1丁目のトヨタビルのブロックの近辺です。事業に成功した後に建てた家は白壁にあって、現在ダイキン工業になっている場所です。
いかがですか? 「錦3丁目6番地」という町名を聞いても、単なる記号のような住所ですから、そこがどこなのかピンと浮かんできません。ところが「朝日町1丁目」と呼び変え、さらにそこが豊田佐吉翁の創業の地だと聞かされると、思わず『ヘエ』という言葉が出ませんか?
ちなみに、佐吉翁は湖西市の生まれですが、若い頃から名古屋に出ていますので、彼は生涯の大半を名古屋で過ごしています。特に蒲焼町(現在の錦3丁目)は、彼が飲んで回った地域です。佐吉翁は富澤町4丁目(旧東海銀行本店のブロックの東側)にあった料亭『花月』が好きで、煙草敷島をくゆらせながら、夜が明けるまで飲み明かすこともしばしばでした。だから佐吉翁は、現代風に表現すると、実は“錦3のオトコ”なのです。そのように表現されると、グッと身近に感じませんか?
このように町名の歴史を辿りますと、偉人に辿り着きます。「町名」にこだわって昔の文献を読んでいくと、へえ、こんな場所で、こんなことがあったのか? こんな人がいたのか? 等々と発見の連続になります。だから古地図は面白いのです。
◆もっと地元の歴史を知ろう
名古屋人は一般的に地元の歴史に疎いです。その理由は色々です。学校では地元史を教えてくれません。テレビで名古屋が舞台になるのは、例の三英傑の時代だけであり、それ以外はほとんど全国ネットの番組に登場しません。書店にいっても郷土史の本はあまり置いていません。だから地元の歴史を知るすべがないのです。
◆由緒ある町名の抹殺が名古屋の歴史を
名古屋人が郷土史に疎くなった決定的な理由は、町名変更だったのではないかと思います。由緒ある町名が消されてしまい、錦・丸の内・栄という記号のような町名に変えられてしまうと、昔のことを知るよしもなくなるからです。昔の町名を知っているのは、もう高齢世代であり、若い人はまったく知りません。
◆名古屋の旧町名の復活を目指す有志の会発足
昭和41年に行われた町名変更は、歴史の抹殺であり、破壊行為以外の何ものでもありません。旧町名を復活させることは、歴史を復活させることにつながります。名古屋人が郷土に誇りを取り戻すことができるのです。だから、町名復活は、名古屋の復活につながるのです。
『名古屋の旧町名の復活を目指す有志の会』は、現時点では会員は、たった1人、つまり北見昌朗だけです。でも、この呼びかけに呼応する方々が集まり、大きな運動に発展することを確信しております。
皆様、ここで立ち上がりましょう。
平成23年7月24日
北見昌朗 拝
名古屋活動写真。名古屋の貴重な歴史を残す映画を作っています。
詳しくは名古屋活動写真のサイトをご覧ください。