<第138回> 尾張藩札と山田羽書 ―貨幣金融史からみた伊勢と尾張の意外な関係―

<第138回>
令和6年2月17日(土)
18:00より

テーマ:尾張藩札と山田羽書 ―貨幣金融史からみた伊勢と尾張の意外な関係―

お金の歴史からみると、尾張国は金貨を重視した通貨体系であったため、東国風だということはご存知でしょうか? すなわち「江戸の金遣い、上方の銀遣い」として知られるような日本列島東西を二分するような見方をすれば、名古屋は東日本の文化圏の西端といえるのです。そのような傾向は、例えば、織田信秀は、伊勢神宮の遷宮費用を金で寄進していることからも窺えるように江戸時代に入る前からみられるものです。

とはいえ、銀貨を重んじた西国的通貨体系の中心となる京都・大坂といった畿内地域にも近接しているため、尾張国でも銀貨の普及はみられるなど、いわばハイブリッドな通貨構造であったともいえます。

名古屋には、ハガキやキッテといった独特な文化があるのです。ハガキは判書と呼ばれた江戸時代初期の尾張藩札、キッテは江戸時代後期の米切手とよばれた尾張藩札なのです。特に寛文6年にはじめて発行された判書は「ハガキ」と呼ばれた藩札の中では恐らく日本最古の藩札といえ、名称自体が独自性を持つものです。何故、寛文年間の尾張藩札が「ハガキ」と呼ばれるかについては、当該期に伊勢国で普及していた民間紙幣の羽書(ハガキ)にインスパイアされて名付けられたものとされています。特に、判書のみならず米切手時代の尾張藩札も日本最古で日本一の信用力のある伊勢山田生まれの民間紙幣として著名な山田羽書(ヤマダハガキ)と何故かしばしば引き合いだされるほど信用の低い藩札でした。

このように、今回の講演では、お金の歴史からみた尾張名古屋の歴史について、伊勢の対比させながらその実像を垣間見たいと思います。

講師: 千枝大志 氏(中京大学大学院非常勤講師・中京大学非常勤講師・三重短期大学非常勤講師・同朋大学仏教文化研究所客員所員・博士(文学))

会場: 札幌かに本家栄中央店