料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第83回(2018.2.23)

「和食・日本人の伝統的な食文化」と蔦茂料理人

今回は、「料亭蔦茂」の伝統の味を伝える調理人について、紹介させていただきます。

戦前の蔦茂板前で立身出世した有本富夫さんは、昭和15年に独立して尾頭橋にて創業。戦後、復員され住吉町3丁目(現在のピボットビル)に「割烹有本」をかまえ、鰻・天ぷらで人気店になりました。その後、西浦温泉で旅館有本を経営されました。代が替わって、昭和49年から千種区日岡町で「うなぎ有本」として盛業中で、毎月楽しい企画やイベントで話題の料理店です。

戦時中の調理長・梶川さんは、戦後、名古屋で最初の調理師学校を設立され、多くの弟子を育てられたと聞いています。

正雄君の思い出の料理人は戦後初代の山川料理長。腕利きでしたがちょっとアル中気味? と思われ、小学校から帰ってきた僕にいつも「コップ酒」とツマミをふるまってくれました。自分が飲んでいるので、お坊ちゃまにもお薦めして言い訳のつもり? 人間関係を損ねてはと、僕も目を真っ赤にしながらいただいた記憶が…。ひとり息子の夕飯には必ずお銚子が付き、晩酌とともに食事をするのが、正雄君の子供の頃からの習慣となりました。

東京から招聘した包丁式で有名な四條流家元・獅子倉さんは、若手の森野祐介さんを指導しながら、名古屋料理界に寄与されました。そして、とっても粋でオシャレな森野料理長は、住吉界隈では結構な遊び人としても話題でした。でも部下の料理人には厳しく、よく鍋や包丁が飛んでくる調理場であったようです。

蔦茂:笑顔の料理人「味人」2005年葉月 日本調理師会監修
蔦茂:笑顔の料理人(『味人』2005年葉月 日本調理師会監修より)

そこで鍛えられた鳥居修一総料理長は、昭和63年に30代半ばで就任。鳥居氏の目覚ましい活躍は、積極的な新メニュー開発から朝日文化センター料理教室、新規事業での松坂屋本店惣菜売場出店、また女性向けに料亭のランチ開発、出前弁当・出張宴会、つたも玄関改装、さらに若手料理人への指導と名扇会会長就任など、枚挙にいとまがありません。

2017春・桜の女王と本店板場スタッフ
2017春・桜の女王と本店板場スタッフ

新しい感覚でバブル崩壊後の料亭の切り盛りに貢献し、若手料理人の育成にも尽力されていましたが、平成20年、癌の病魔に侵され50歳代で逝去。なんとも惜しまれる事態でした。私は繊維業に従事しており、料亭経営は鳥居常務に任せて資金繰りだけ担当しておりました。

その後、リーマンショックによる接待市場の崩壊もあり、市内の料亭や大型和食店の閉店が相次ぎました。寺島武彦副料理長が後を任され、若手の大道寺宏樹氏を育成します。平成24年、大道寺氏は鳥居氏の思いを託され35歳で料理長に就任。JR名古屋タカシマヤ店への出店、また気軽に料亭の味を楽しめる仕組づくりでセントラルキッチンをオープンさせるなど、新規事業にチャレンジしておりました。

しかしながら、平成26年1月28日早朝、自宅の電話が鳴り、突然の訃報が私を襲いました。何と、同君が中区橘2丁目で午前5時40分自転車走行中、飲酒運転・轢き逃げ事故に遭遇し急逝したのです。この事件に遭遇した後は、呆然自失とした日々だったように思います。

何とか気を持ち直し、料亭蔦茂の料理の伝統を承継できる人物探しに奔走しました。やっと鳥居氏の後任で名扇会代表を務める山口孝朋氏(当時46歳)を平成27年2月に招聘することができました。

山口総料理長との出逢いにより、ユネスコ無形文化遺産「和食・日本人の伝統的な食文化」を本格的に伝承して若手調理人を育てることこそ、創業105年の料亭蔦茂の使命と感じ、今年6月に画期的な意匠を凝らした板前割烹と料理店を新店として開業するきっかけとなりました。つたも新店で日本の料亭文化を伝承しつつ、若き調理人がチャレンジできる舞台を提供できることが楽しみとなります。

創業105年・料亭つたも新年祝賀会
創業105年・料亭つたも新年祝賀会、スタッフ一同(平成30年1月7日 中日パレスにて)

名古屋の和食料理人が「技(わざ)と友情と相互扶助を末広がりに集う会」として昭和58年に設立した「名扇会」についてご紹介してまいりましょう。

昭和57年ごろ名古屋で活躍する大阪京繁社(調理師紹介あっせん所)のリーダー、翠芳園・小玉清孝料理長、ロイヤルパークホテル「京たち花」池田恭一調理長を中心に有志が集ったのが契機とのこと。

平成元年には愛知県日本調理技能士会(現在・現代の名工 入口修三会長)の設立となり、毎年4回の現代日本料理技能展開催ほか、食文化発展について勉強し、若い料理人が切磋琢磨できる自己研鑽の場を提供しています。平成21年より山口孝朋会長のもと、現在は会員数約50名で板場仲間の相互の交流と技能研鑽の場となっています。

名扇会総会:右より山口氏、小玉氏、寺島副会長 創立30周年・山口「あいちの名工」祝賀記念
(左)名扇会総会:右より山口氏、小玉氏、寺島副会長(平成25年名古屋ガーデンパレスにて) (右)創立30周年「あいちの名工」祝賀記念 主催者挨拶:山口孝朋会長

名扇会の初代会長は、山口氏が翠芳園に入社した際の恩師・小玉さん、2代目は池田さん、そして3代目は20年近く尽力された、料亭千代田・泉瑞士料理長、そして、4代目は蔦茂・鳥居修一を経て、現在に至ります。多くの料亭や和食店が支援していましたが、日本料理の再興とともに若手料理人が研鑽できる場の提供ができればと思っています。

また、蔦茂OBとして鳥居氏と同期、昭和47年入社の稲垣さんは京都で修行され、陶芸や茶道の造詣も深く、名駅南に新感覚の「料亭神谷」(ロイヤルホテル弁天閣グループ)や錦3丁目サウスハウス最上階に「東山」(名古屋観光ホテルグループ)を開業し話題となりました。丸の内2丁目・古民家風割烹「あらた」では、毎昼に料理学校を運営し、創作料理を提供する日置智也料理長も森野氏の薫陶を受けた弟子の一人です。

ところで、和食を「ユネスコ無形文化遺産に登録」提言された京都料亭「菊乃井」ご主人・村田吉弘氏は、若い頃、名古屋「か茂免」にて修行され青春時代をすごされています。

キッチンつたも:若手女性料理人達
料亭の味を惣菜・弁当でお届け! 右より:臼田有佐リーダー、葛谷周子、森夏希(丸の内セントラルキッチンにて)

最近は女性の料理人の台頭も著しく、「キッチンつたも」では料亭の出汁を基本に、女性の感性を大切にした惣菜・弁当をお手軽に楽しんでいただけているようで、デパート店舗や配達サービスで評判です。

今後も和食文化を承継できる料理人を育成できるように、当店もチャレンジを続けたいと思っています。