料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第74回(2017.5.26)

八百屋町は料亭つたも創業の地

地図1:江戸宝暦12年・1762年
地図1:江戸宝暦12年・1762年 八百屋町
から光明寺、広小路水路・紫川流域

八百屋町:長者町通のうち、鶴重町筋から横三ツ蔵筋までの間をいう。そのうち広小路より南、入江町の西側と南は両側武家屋敷であった。
清須越の町ではなく、名古屋開府以後の町屋。町名は、野菜を商う人々が多く住んでいたところから八百屋町と呼ばれた。明治四年、下長者町に併合。昭和四十一年住居表示により錦二丁目、栄二丁目となる。(旧町名復活HPより)
(地図1:江戸宝暦12年・1762年 八百屋町から光明寺、広小路水路・紫川流域)

地図2:明治43年八百屋町
地図2:明治43年八百屋町

明治4年には南の光明寺町を編入して、広小路より八百屋町各ブロックがそれぞれ1~3丁目となり、紫川沿いの花屋町筋まで延び、南の突き当りは光明寺で白川町に続く街並みとなりました。

明治43年地図には、東側に1丁目12番地「旅館蔦茂」の店名があります。その後、祖父・深田良矩が大正2年に金融業の接待料亭として取得しましたが、手狭のため現在地の住吉町2丁目26番「旅館丸屋敏」周辺に「蔦茂」を移転しております。(地図2)

八百屋町蔦茂は家族や雇人の住居として活用していたようです。父、正矩は大正7年2月11日紀元節に八百屋町1-12で出生しております。

江戸末期には「蔦茂」は大須の歌舞伎小屋近くにあり、店名も歌舞伎戯曲「一本刀土俵入り」の主人公“お蔦と茂平”から名づけられました。明治に八百屋町に移転したのではと元NCA鶏徳尚雄校長が古地図を調べていましたが、確たる証拠がまだ見つかっていません。

明治末から「つの市めがね店」、大正期「後藤銅器店」の店名が、懐かしく最近まで頑張っていらしたようです。(写真1)

昭和20年、第2次大戦の空襲ですべて焼失。八百屋町2~3丁目は寺町の白川町とともに進駐軍将校家族宿舎・通称「アメリカ村」に供出され、残念なことに八百屋町は1丁目のみとなりました。

地図2:明治43年八百屋町
写真1:昭和5年10月八百屋町の町並み。
南は光明寺、北のビルは名古屋銀行本店。現存する建物で
東海銀行となる前、右は本町通り

写真2:白川ビル群とヴィア白川
写真2:旧都築紡績ビル群とヴィア白川。
現在はRT白川ビル、栄レジデンス、アーク白川パークビル、
名古屋パークプレイス

写真3:青木鰹節店と稲垣ビル
写真3:青木鰹節店と稲垣ビル(奥)
この間のコインパーキングに戦前は八百屋町蔦茂旅館がありました。

住宅地図協会が昭和35年に発売した地図・南はアメリカ村跡地
住宅地図協会が昭和35年に発売した地図・南はアメリカ村跡地

アメリカ村用地の供出は昭和21年から34年まで続き、所有者には僅かばかりの地代が払われました。昭和35年に代替地として戦前のオーナーに返却されたときは、日本は神武岩戸景気に沸き立っていました。都心部の地価も高騰したので、返還土地は坪20万以上の価格となったように聞いています。終戦直後、畳の値段のほうが栄の土地より高いと言われた頃から十年余りでの変化。

返還成金の土地を買収したのは都築紡績(株)さんで、八百屋町2~3丁目に白い大型ビルを4棟建設されています。(写真2:白川ビル群とヴィア白川)
同社は2つのホテル(現在はハミルトンレッド、ブラック)、鉄炮町3にグラスシティ栄建設用地取得、栄三越南ブロック(現在はラシック)買収など、2003年会社更生法を申請するまで栄ミナミで大きな影響力を及ぼしていました。

住宅地図協会が昭和35年に発売した地図(地図3、南はアメリカ村跡地)から、八百屋町1丁目の変遷を語ってまいりましょう。

西側の倒産した都築紡績名古屋支店跡地はアーク栄広小路ビルとなりました。稲垣洋品店は向かい西角に稲垣ビルを建設、1階には割烹「荒木」が入居。小林洋品雑貨は小林商事(株)として不動産賃貸業に転身されました。東側には唯一、同じ敷地で青木鰹節店さんの看板はありますが、現在は自宅として青木ファミリーがお住まいのようです。(写真3:青木鰹節店と稲垣ビル)

アメリカ村土地返還後、新しく開発された八百屋町2丁目では昭和49年(株)宝塚エンタープライズが初めての事業として、都市型ホテルスタイルの分譲マンション及び高級テナントビル「ヴィア白川(サンメンバーズ名古屋白川)」を開業されました。当時はオイルショックで、建設コストの急上昇、そして不況による販売不振で苦労されたとうかがいます。その後、リゾートトラスト(株)と商号を変更され、リゾート会員権販売とともに、都築紡績さんの白川ビル群を取得されました。

また、田宮服飾(株)さんは街おこしに熱心で、平成24年には“八百屋町マルシェ”を4月と8月に開催され、町名のPRにも寄与されました。

そして、八百屋町3丁目南角には、南桑名町より「八勝館中店」が移転。地域一番の大型料亭で繁昌しました。敷地内には中華料理「九龍」も併設し一世を風靡しましたが、現在は大型賃貸マンション「ウィンコート」となり、公園一帯の居住スペースの嚆矢となりました。
現在は広東料理・茗圃 (ミョウホ)、創作フレンチ「仁」の高級料理店が入居されています。

アメリカ村が白川公園となり、八百屋町界隈は緑いっぱいの新しい高級レジデンシャルエリアと変貌しております。