料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第63回(2016.6.22)

新しい御園座と伏見金融街再建・和テイストの意匠建築

明治30年5月、創業者・長谷川太兵衛の固い決意のもと、目を見張るモダンな建築物が徐々に完成へと近づく様は、当時の名古屋市民の胸を期待で大きく膨らませたと伝え聞いています。建物の名称は「御園座」――。以来、名古屋の文化、歴史の中心として歌舞伎公演などで輝かしい伝統が継承されています。

御園座リニューアル
写真1:御園座外観パース、伝統的な「なまこ壁」の意匠(同社HPより)

このたび、同社は経営危機といわれた数々の困難を乗り越えて、建て替え工事を行っています。事業主を積水ハウスが担い、昨年4月に着工。工事は順調に進捗しています。完成すれば、下層階には御園座劇場、上層階に分譲マンションが入る、40階建て高さ150メートルのビルとなります。総事業費は約300億円で、平成29年12月に完成し、新たな御園座は30年春にオープンする予定。劇場の客席数は1298席、304戸の分譲マンション「グランドメゾン」は、すでに予約だけで昨年末にて完売した、超人気の新住居空間です。(写真1)

新しい御園座のデザインは、東京・歌舞伎座の建て替えを手掛けた建築家の隈研吾さんが監修とのこと。

御園通り商店街は、多くの店舗が半世紀前の昭和38年・旧御園座建築時から同一地、同一ファミリーで事業承継されており、建築や外内装も御園座を意識した和のテイストを大切にされております。

山口銀行名古屋支店 ロビー
写真2:山口銀行名古屋支店 ロビー壁画「城を築く」
(2016年6月撮影)

特に伏見通り南側、かつては芸人役者のお宿「旅館山多屋」跡地には、昭和41年に山口銀行名古屋支店がオープン。

建築家福田一豊氏の解説によると、設計は現代建築の大御所で日本建築家協会会長・円堂政嘉氏(1920~1994)、縦の柱と横の梁を強調し、その間を大きなガラス窓で構成。三層部分が下層部に浮いたように積み重ねられたダイナミックな建物です。

そして、円堂氏の師匠・中村順平(1887~1977)が手がけた名古屋城金鯱鉾設置工事を描いた“城を築く”のモザイク大壁画(高さ7メートル・幅12メートル)がロビーを飾っています。(写真2)

碧海信用金庫御園支店
写真3:碧海信用金庫御園支店 外観パース
(同社ニュースリリース2016.5.16より)
岡崎信用金庫名古屋支店外観
写真4:岡崎信用金庫名古屋支店外観
(同社リリース2016.6.22より)
工事中の新伏見金融街
写真5:工事中の新伏見金融街
伏見・三蔵交差点より御園座を望む(2016年6月撮影)
印傳屋・十三代上原勇七 名古屋御園店
写真6:印傳屋・十三代上原勇七 名古屋御園店
かつてのキャバレー白菊跡地

南の三蔵通り角地は、三油商会から一光石油のゼネラル・ガソリンスタンド跡地に碧海信用金庫御園支店が来年7月オープン予定です。隈研吾氏意匠設計による「和の伝統」独創的な外観・ロビーは、街に木のぬくもりを感じさせてくれるでしょう。隈氏のデザインコンセプトは「立体庭園グリーンヴォイド・軽やかな木組みスクリーンで芝居街にふさわしい和の華やかな街並みを形成する。インテリアにも木や和紙を使用して、優しい空間が提供されることとなる」(写真3)

三蔵と御園交差点東、御園座のバス駐車場には(株)日建設計と、岡崎・小原建設(株)の建築によって「岡崎信用金庫名古屋支店」が建設中。和文様を表現した外装スクリーンが伝統を感じさせ、低層部は開放的なガラスウォールと黒の花崗岩を使用して、歴史の重みを表現されているようです。(写真4)

歴史と文化を象徴した新しい和感覚の建築によって、新しい「伏見金融街復興」が実現されることとなり、御園座さんと相まって街の名所地区として期待されています。(写真5)

かつてのキャバレー白菊跡・西角には1582年からの第13代上原勇七による甲州印傳のショウルーム(写真6)、伏見角には名古屋画廊さんが美術界の重鎮作家を紹介する文化ストリートとしての位置づけもユニークです。

第2次大戦空襲で焼け野原となったこの地区で奇跡的に消失を免れた家屋、印傳屋の斜め南向かいの梅本(株)さん。尾張藩御用達商人の松川屋という漆器商で、中庭には素晴らしい日本庭園や水琴窟がありました。当主磯村義典さんは、3年前まで、栄学区区政協力委員長として地元町内活動にご尽力されていました。
「私の父は昭和8年に本重町でメリヤスの卸業を始め、昭和12年ごろにこの地に移転してきました。荷車に積んで堀川の倉庫まで品物を運ぶ。堀川から艀で名古屋港に持っていく。そこから朝鮮、満州に輸出する。三蔵筋は商売するのに非常に便利な土地だったですね。通りの幅は3間(5.4メートル)ですから、向かいの家の声が聞こえてくるような狭い道でした」(注1)と語ってくれました。
(注1:磯村氏コメント『花の名古屋の碁盤割』三ツ蔵町P.38  沢井鈴一執筆より引用)

西に歩くと戦災を免れたもう一つの建物、簾・提灯・雑貨の伊藤繁治郎商店は昭和16年建設。西となりの長屋は明治時代の造りでしたが、最近取り壊され、新装のマンションが完成したようです。

栄と名駅をつなぐ三蔵通りは、昨年より「NAGOYA創造協議会」が活動をスタートしました。地域一体化の音頭を取り、まず桜並木をつくることでイメージ統合を図っています。これから栄ミナミと名古屋駅南地区の中心に、伝統文化をテーマとした御園地域の発展が期待されます。

当分、御園座工事中は厳しい営業環境ですが、400年の歴史「御園通商店街振興組合」の皆さんが力を合わせて、芝居小屋再開に向けて街づくりに邁進されることを祈念しております。