料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第56回(2015.11.24)

栄小路「栄銀座」には八幡屋・夜来香が健在です!

プリンセス通り側にそびえる竪看板
写真1:プリンセス通り側にそびえる看板・八千代中店の名も残っています。

前回まで戦後、栄ミナミにできた路地、むつみ小路・松竹小路を紹介しました。今回は昭和30年代、名古屋松竹劇場の北の「栄銀座」を語っていきたいと思います。(写真1)

昭和37年頃、北側は明治屋・丸善ビル・とんかつ八千代中店・栄郵便局、南には飲食店16店と住吉ホテルとが並び、市内で最も賑やかな南呉服町と住吉通りを結ぶ東西90mに有名店がそろっていました。毎晩、新内流しの三味線・歌謡曲のギター弾き語りが飲み屋から聞こえてきました。

昭和41年3月6日「翁寿司・天ぷら助さん」名古屋タイムス記事を再録:

流しギターと栄小路

[栄小路]・・・翁寿司の主人はもと魚屋さんで、なかなかのやり手。駅前などにも支店をいくつもだして、寿司屋としては大型店の一つにはいる。二階にはお座敷もあり、専属のお座敷女中もいる。助さんは、その名前のとおり、ご主人が助さんまがいの好人物。気が向けばただでもくれてやる・・・そんなことを思わせるような愉快な人柄だ。それだけに、料理の方はいたって良心的。画家の北川民次氏なども贔屓にしてちょくちょく出入りしている。

(写真は流しギターと栄小路:「名古屋なつかしの商店街」P75より)

プリンセス通り側にそびえる竪看板
写真2:現在(平成27年11月)の「季節料理八幡屋」と
「餃子なら夜来香」店舗

現存する2軒のうち、清酒・菊正宗の看板が相応しい、もっとも年季の入っていると思われる「八幡屋」の暖簾をくぐります。小料理屋のようでありながらざっくばらんな2代目と思しきご夫婦といつもの常連が楽しげな様子で繁昌しています。季節感のあるお通しはおいしく、お造りは目利きのよさが感じられうれしくなります。しみじみと観察すると、60年の歴史を感じさせるいい店です。本格料理なのでチョットお値段が張りますが、ご理解ください。(写真2)

もう一軒は小縣新一郎氏が昭和30年に創業した手作り餃子で有名な「夜来香」です。小縣新一郎氏は事業家で駅前中経ビル、刈谷駅前、今池、大曽根に新店オープン、昭和38年には生産部を独立させ、セントラルキッチンを担う萬寿食品(株)を設立しました。住吉町に和食「うな甚」、中日スタジアム売店と幅広い展開をされていました。

現在は栄銀座「バーハワイ航路」跡地がニュー夜来香となり、2店舗に集約されています。正雄君は子供の頃から、蔦茂が忙しくて賄が作れないときなど、両親が水商売のチビッ子達と週に一度はお世話になっていました。夜来香の薄皮ギョーザはいわば「おふくろの味」として今も親しんでおります。トリオのカレー、ヨコイのスパゲッティとともに、僕らの栄三代名物でした。水商売のお店が立て込んでお家に帰れない子供たちは、松竹映画館で時間つぶし。もちろん切符代は払った記憶がございません。

名物といえば「とんかつ八千代」中店。とっても大きな店舗で、宴会でも賑わっていました。
しかし、本店とともにいつのまにやら閉店。その後、東急鯱バスの永沼憲男さんの粋な計らいで丸の内東急インのレストランオルカにコックさんが移り、サクッとジューシーな懐かしの八千代風味ヒレカツや牛スジ・デミグラソースを楽しんでいました。ところがここもホテルが閉店、建物も解体中! 子供の頃に感激したカキフライのタルタルソースの味が忘れられません。

現在は中村区稲葉地に「名代とんかつ八千代 味清」として、板さんの2代目である高杉満さんが伝統の味を承継されているとのこと。同店のホームページを引用して紹介させていただきます。

この鍋だけが知っている 創業から50年 とんかつ八千代 味清の歴史・・・

初代の高杉忠史が、大正時代から続く「ステーキハウス 八千代本店」で修業を積み、その味と想いを引き継ぎ、とんかつ八千代味清として、昭和37年にここ中村区に開店しました。マヨネーズ、ドレッシング、ソース類など一から丁寧に手作りし、八千代本店の味を再現しています。当店の人気メニューのカニクリームコロッケの要になるベシャメルソースを作る鍋は創業当初からのものを使用。
伝統と想いを引き継ぎ、心に残る料理をご提供しております。
長年の幾人ものシェフの想いがこもった道具を使用してつくられるベシャメルソースは当店自慢の逸品です。

気さくなマスター「スコッチ・バーくら」は高校生の僕らも気軽に一杯飲める店として、不良学生がたむろしていました。

プリンセス通り側にそびえる竪看板
写真3:住吉通り 陶板:栄郵便局舗道 10万円切手

住吉側には栄郵便局、平成7年作成の舗道の陶板にはなんと「10万円切手」が。バブル崩壊あとのハイパーインフレを局長が予見したのではないかと思われます(写真3)。

郵便局の2階ホールは街の展示会場です。昨年は僕が会長をしている東海高校OB会写真展を1ヵ月間開催させていただきました。土日は閉館ですが、栄の一等地でなんと無料開放ですので、ご興味ある方は米田敦哉局長までご連絡ください。

住吉ホテルは南洋を思わせる棕櫚の木が玄関庭にある、洒落た都市ホテルの先駆けです。布団に足のあるベッド、便所と風呂が一体化しているバスルーム、陶器の風呂桶にも足がついていました。正雄君はビックリ。後にアメリカ村の家庭を拝見し「アイラブ・ルーシー」の世界に感動の連続でした。その後、古川為三郎氏が経営する「住吉パチンコ」は当時、市内ナンバーワンの大型店舗で、向かいの「赤玉パチンコ」とキャバレーとともにヘラルドグループの嚆矢事業といわれています。陶板には花札やジャンケンをモチーフにギャンブル場の面影が残っています。(写真4)

陶板じゃんけん
写真4:陶板2枚・元住吉パチンコ前舗道

現在の栄銀座は丸善ビル解体に伴い跡地が平地大型駐車場となり、南側だけの飲食街となり、昔の小路の面影が薄くなっています。

松竹小路
栄小路店舗地図・昭和37年11月 「名古屋なつかしの商店街」P74より転載 風媒社