料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第54回(2015.9.18)

栄ミナミの路地「むつみ小路」が袋小路に危機一髪!

栄の路地では最も歴史と文化を誇る飲食街「むつみ小路」をご存知ですか? 丸栄デパート南、プリンセス大通り南呉服町繁華街と南伊勢町証券街を結ぶ50軒余りの東西の飲み屋ストリートです。

むつみ小路マップ
写真1:名古屋なつかしの商店街P74より転載 風媒社

大東亜戦直後の区画整理から地元の店舗が共同して通路の土地を供出、私道の両側にびっしりと小料理屋・寿司屋・天ぷらや・洋食堂・うなぎ屋・うどん屋・バー・クラブ・床屋…が林立しておりました。そして、地域住民が利用する生活道路として人通りの多い路地といえます。(写真1:昭和37年頃店舗マップ・名古屋タイムスより)

そこに、南伊勢町地区を再開発する(株)平和不動産が路地北「名古屋平和ビル」を2004年に竣工。南側も買収し、2013年秋着工された丸善書店ビルの建設が工事中です。このため、「むつみ小路」が一時閉鎖されました。

今春、地元への説明もなく、ビル完成後も封鎖するとのことが発覚しました。小路の飲食店は営業上死活問題でもあり、地域で大騒動となりました。むつみ小路が行き止まり「袋小路」となってしまうと、治安防災上の状況変化も解決しなくてはなりません。

丸善ビルからむつみ小路への通路
写真2:丸善ビルからむつみ小路への通路・2015.5.13元の通りに再開通

私道として供出された小路の北南土地とも同社の所有となり、容積率、環境アセスメントなど私権上の要請、そして「歩いて楽しい栄ミナミ」街づくりグループとの調整が大いなる課題となりました。調べれば2013年9月13日大店立地法の届け出は封鎖を条件に提出されていたようですが、2回の地元事前説明会では封鎖予定の報告なく大混乱!!

大規模小売店立地審議会への要請、平和不動産トップへの依頼、名古屋市市民経済局との調整、市長への要望書、弁護士の通知書など…栄ミナミの同志パワーが炸裂。お蔭で名古屋市当局と同社の英断で4月28日丸善オープン後、5月13日に無事、封鎖解除され、元の“当たり前の小路”に復帰いたしました。(写真2:開通した境界・丸善から小路へ)

昭和37年のむつみ小路地図から捜すと、現存する店は2店舗のみ。「キッチンゲラン」は当時バーゲランから洋食堂に転じたばかりで、現在もバーカウンターが残っています。ハンバーグのデミグラソースは本格老舗の味です。むつみ小路発展会会長として地域のとりまとめ、毎朝、愛犬の散歩をされる素敵なファミリーです。

いば昇
写真3:いば昇、ゲラン(現存する2店)むつみ小路南側

もう一軒は「いば昇」。井戸水でうなぎを3日ほど笊で生けて調理、辛めのたれでかりっとした焼き方の「チンチンの熱い丼」が名物です。蒲焼のにおいは栄ミナミ・「街のかおり」三名物の一つだそうです。ちなみに、あとの2つは南大津通り「妙香園」のほうじ茶煎り釜、住吉町わが「料亭つたも」朝の調理場から出る鰹出汁の香りです。(写真3:いば昇・ゲラン)

以前、両店の間に「小春亭」があり、繁盛しておりました。女将は踊りの西川流師匠で名妓連の指導もされる粋人。お母さんのおでんの味が懐かしく、その後、鶴舞に移転されましたが、しばしばモリシマスタッフと飲みに出かけた思い出がございます。御嬢さんの服部真理子さんは日本舞踊を愛され、プリンセスガーデンホテル東隣・割烹「月」のママとしても大活躍、地域の仲間たちがお世話になっています。

表通りに面した建設中の山田時計店は元東海銀行本店向かい、広小路劇場西隣から移転する前です。時計宝石店から多湖不動産をへて、現在は「牛丼すき家」。西村薬局の息子、栄小学校同級生の西村雄司君は女の子をからかうのが大好きで、2階が住居の便利なドラッグストア。最近まで多湖不動産栄営業所でしたが、今は関連の不動産「アセス」として地元テナント情報を集約している便利な仲介業者といえます。

プリンセス大通りからむつみ小路
写真4:プリンセス大通りから「むつみ小路」・札幌かに本家栄中央店北

隣は幼稚園からのお友達でやんちゃ坊主の鈴木正徳君の海苔問屋さん。漫画雑誌「冒険王」が大好きで、いつも見せてくれました。正徳君は小学校4年の時に飛島村に転出、翌年の伊勢湾台風では命からがら生き延びたといっていました。同君は筏川観光釣り場のオーナーでもあり、村の発展に寄与。また、海部ロータリークラブ会長職も歴任。素晴らしいボランティア活動もされています。その後、「暫」(しばらく)という粋な割烹店でしたが、今は「浪花ひとくち餃子・チャオチャオ」として繁昌しているようです。

小路の南は「お肉の杉本&タバコ店」。明治33年創業の杉本食肉産業さんのご親戚筋で、テナントビル隣1階は国際色豊かなトルコ料理店「I am Istanbul」が入居されています。(写真4:プリンセス通りから「むつみ小路」)

伊勢町側新丸善ビル跡地角に、証券マンでごったがえすそば店「やぶ彦」、気軽な相場情報交換所・理髪店セントラルが繁昌しておりました。ここは、深田ファミリーの行きつけの床屋さんでした。豊証券の創業者伊藤さんは大の錦鯉マニアで、いつも父と鯉談義の花が咲いていました。その後、万代証券、名阪証券を吸収して地場証券の雄として地域活性化へご尽力いただいております。サンリツビル1階は現在も南・三蔵通りと繋がる飲食街となっています。そして、中央の割烹料理「白菊」やバー「鹿鳴館」も話題の店として多くの金融マンが贔屓していたようです。

むつみ小路北
写真5:むつみ小路北の新しい飲食店・ファッションヘルスから変身

数年前まで北側にはファッションヘルス店が数店並び、客引きも往来して異様な雰囲気でしたが、現在は若い飲食業者が新しいコンセプトで頑張っています。9月15日からのサカエミナミバルには「熟成肉&ワイン・みんなのステーキ栄店」「みんなのエビバル店」も参加し新しい息吹を感じさせています。(写真5:小路北側の新しいお店)

戦後70年の居酒屋の変遷を感じさせる、ユニークな飲食店が入り混じった「むつみ小路」に、ぜひ皆さんでお越しください。