料亭つたも主人・深田正雄の住吉の語り部となりたい

第36回(2014.3.26)

本町通り:鉄砲町1-2丁目

名古屋甚句歌詞には「アーエ花の名古屋の 碁盤割りはエー アー都に負けない京町や 竜宮浄土の魚の棚 七珍万宝詰め込みし 大黒殿の袋町 広小路から見渡せば なかなか届かぬ鉄砲町 次第しだいに末広の 家並みは続く門前町・・・」と唄われている名古屋城と熱田神宮を結ぶ幹線道路本町通りの歴史と昭和30年代の思い出をお伝えしたく思います。

江戸時代、広小路と本町の交差点西南の柳薬師(新福寺の通称)が賑わいの中心、明治に入り新福寺が移転し境内地の一部が柳の木とともに、長円寺の境内地とかわる。そして、広小路には日露戦争凱旋門、昭和に入り映画館が並ぶ広ブラ、戦後は北西の大和ビルをGHQ司令部が占拠、屋台は常に繁昌、名古屋の起点として発展してきました。

道路元標は、国・県道の起終点を示すもので、大正8年に制定された旧道路法により、各市町村に一個を置くこととされた。名古屋市では、大正9年の愛知県告示により「中区鉄砲町1丁目18番地の1地先」が道路元標の設置場所とされ、この付近に設けられた。つまり、設置当時はこの付近が名古屋の中心であったことを物語っている。

名古屋の中心、道路元標(説明板に併設) 旧道路元標説明(広小路本町交差点、南東角)
写真左:名古屋の中心、道路元標(説明板に併設) 写真右:旧道路元標説明(広小路本町交差点、南東角)

道路元標方式は昭和27年の新道路法の制定で廃止となったため、現在設置されているものは、往時の道路元標を後世に残すために、本町通の整備にあわせ往時のものを復元したものである。「名古屋市道路元標」と書いてあり、名古屋市の道路の起源と言っても良いものである。

本町通りには、正雄君の子供のころから不思議なことに電柱が一本もなく、昭和初期に電線の地中化工事が実施されたようです。

祖父良矩いわく「本町の旦那衆は5月16日の若宮八幡社祭礼時、電線が山車・渡行の邪魔になる!電気会社に地中化を要請し、実現させた。」との事、昭和4年、昭和天皇が名古屋に行幸されたときが契機となり、今でも、御幸本町通と呼ばれています。

しかし、名城と熱田を結ぶ電車を走らせようと計画したら、「うるさい邪魔だ!」との意見、やむなく本町から筋を変更し大津通りを拡幅して熱田神宮へ市電が敷設されたようです。

 

本町も鉄砲町も清須からの地名で、「清須で鉄砲を製造する職人が住んでいた」街であったようです。北見地図S35年版から老舗の並ぶ鉄砲町には多くの現存企業が頑張っています。一町目・柳薬師南にはメリヤス八木文、笹屋さん岡谷鋼機、音楽リサイタルなど親近感のある会館を運営される長円寺、東側にはが明治33年創業の牛肉・スギモト本店が歴史を誇っています。角のメガネ「つの市」商店さんはビルに建替え、牧野おばあちゃんが上階のマンション住まいでしたが、最近お会いしなくなりました。栄地下街にも昔からメガネ「つの市」看板で、コーヒー店がありますのは、転貸されているのでしょうか?? 今年に入り繊維卸業を牽引する高橋家の八木文さんのシャッターが閉まっているのがチョット気がかりです。1669年初代岡谷總助宗治が、鉄砲町(現:本社所在地)にて金物商「笹屋」を創業以来、親戚筋の松坂屋伊藤家と共に代々名古屋財界のリーダーであり、岡谷篤一現社長は名商会頭、中法人会会長、若宮八幡社総代会長・・・など多くの要職を務め名古屋のリーダーとして大活躍されています。

 2丁目西には、洒落た家具「飛騨木工」と移転された横山商店(リオ横山さん)跡地は現在宝第一ビル、南の野村タオル、中村合資と老舗が続き、現在も看板建物はありますが、営業の拠点は他に移っているようです。名古屋財界の祖「紅葉屋」さんは、番頭の故・浅野甚七さんが屋号を引き継ぎ、戦後、ゴム靴・月星化成(株)の代理店として、現在は、栄一社長が靴問屋として海外輸入などで活躍されています。終戦直後アメリカ村建設時の地域の尽力者でもある甚七さんのお話をご紹介しましょう。

「友人が通訳をしており、司令部では当初、進駐軍のプランでは東は本町と西は伏見通りとなっているとの情報を入手。名古屋の文化歴史のメイン本町御幸通りを占領されては、沽券にかかわると案じ、早速、仲間たちと焼け跡の本町に小屋建て住みつき境界を一本西に移動させた。」との武勇伝を何度も聞かされたことがあります。

南角の創業明治19年、通称貴金属の「蝶屋」(株)池田商店さんは昭和32年に名古屋城再建時の名古屋城の金シャチの地金を納入した実績も話題で、浮き沈みの激しい宝石業界で長年活躍されています。

また、2丁目東角には創業文久2年(1862年)組紐類の販売からスタートした「青山リボン」の先代青山義郎社長は英国流ハンターとして進駐軍将校を狩猟に案内されていました。

現隆治社長は鉄砲町内会会長として街づくりや祭礼にご尽力されています。

扇屋本社ビル(建物は戦前より、区画整理拡幅で表側削減)
扇屋本社ビル(建物は戦前より、区画整理拡幅で表側削減)

老舗・呉服(株)扇屋は明治からの代表的な繊維業界リーダーです。若宮八幡社南正門「大鳥居」は先々代平松愛之助氏が紀元2600年(昭和15年)を記念して寄贈、唯一、戦災を免れた鉄筋本社ビルは現存して本町表通りのランドマークと言えます。先代の平松一道社長は東大卒、内務省官僚から転身、大のゴルフ好きで駐車場奥になんとバンカー練習場が最近までありました。私も名古屋に戻り、先代一道氏からナオリ繊維組合、和合ゴルフ、若宮祭礼など幅広い指導をいただき感謝しております。

南には長い玄関庭が特徴の料亭「つたや」、リオ横山さんのビルなど懐かしい思い出いっぱいの歴史を誇る旦那衆の街といえます。

次回は、白足袋の大旦那の町といわれた鉄砲町3丁目、末広町を語っていきましょう。

鉄砲町1-2丁目地図 昭和35年当時 北見昌朗氏作成

北見氏制作 昭和35年版より鉄砲町1-2丁目